空想旅行 一日目
フィンランドで最初に感じたのはまぶしさだった。空は抜けるような青、空気もからりと乾いていて、太陽の光がささるみたいに強い。
タンペレに着いて、まずは一番の目的であるムーミン博物館へ向かった。ちょっと小さめの地下の展示室で、挿絵の原画や、精巧に作られたジオラマを見た。ミュージアムショップで絵葉書を買って、スナフキンの切手を貼って、外のポストに入れる。住所の書き方、あれで大丈夫だったかな。ちゃんと届くといいんだけど。
次は中央図書館。雷鳥がモデルらしく、黒くてちょっと無骨な形をしていて、一階にムーミンショップがある。おみやげを買ってから、せっかくだからと図書館をのぞいてみる。黒い外観とはうって変わって、クリーム色が基調の優しい内装。吹き抜けの天井にある窓から光がさしこんで明るい。館内はちょうどいいくらいにざわついていて、地元の図書館みたいな緊張感がない(静かすぎて息がつまってしまうから、もうずっと行ってない)。背表紙を眺めながら歩いていく。当たり前だけど、洋書ばかりだ、と思う。
外に出て、今度はどこに行こうかなと考えていたときだった。ベビーカーを押す男のひとが通りがかり、なかの赤ちゃんと目があった。不思議そうに、けれどまっすぐこちらを見て、しきりに手を動かしている。男のひとが赤ちゃんに何か話しかけ、それから私のほうを向いた。
「こんにちは」
えっ、日本語? 戸惑いながら、こんにちは、と返事をする。
「日本のかたですか? 観光?」
「あ、はい、そうです」
日本語、とても上手ですね、と言うと、学生時代に日本にいたんです、とそのひとは言った。そこで奥さんと知り合って、結婚して、今は一緒にタンペレに住んでいるという。「さっきからこの子が嬉しそうにしてるから、なんだろうと思ったら、たぶんお母さんと勘違いをしている」と笑った。
「これから、どこに行くんですか?」
「実は決めてなくて。博物館とムーミンショップは行ったんですけど。どこかおすすめとかありますか?」
「ピューニッキ展望台がいいですよ」
町外れの丘の上にある古い展望台で、休みの日によくそこに行くんですよ、と彼は言った。一階にあるカフェでフィンランドいちおいしいドーナツが食べられます。周りが森で、とても静かないい場所です。展望台よりもちょっと先に行ったあたりがおすすめですよ。
「タンペレはのどかでいいところだから、楽しんでいってください」
ありがとう、とお礼を言って別れ、地図を広げた。湖のそばに展望台を見つけ、歩き出す。
それにしても、突然話しかけられてびっくりした。まだ少しどきどきしている。
そこからしばらく、散歩するような気持ちで展望台を目指した。緑が多く、家並みが可愛くて、そんななかに古い立派な教会が建っていたりする。大通りから一本入ると、人はあまり多くない。
なかなか変わらない信号を待っていたら、恰幅のいいおじさんが声をかけてきた。そばにあるボタンに触れる。押しボタン式だったのだ。
子ども二人を連れたおじさんは、今からフットボールを見に行くんだ、と英語で言った。一緒に信号を渡り、よい旅を、ありがとう、と言葉を交わして、別の方向に歩いていくのを見送る。親切なひとが多いなあ。
展望台に続く道に入る。まっすぐ伸びる坂道。歩いているうちに家はなくなって、森に変わっていく。木々のすきまからきらきら光る湖が見えた。道沿いにベンチがあって、でも前は木の繁る斜面で、見晴らしはあまりよくない。ここに座って、何をするんだろう。考えごとかな。疲れたから休もうか、みたいな感じかな。道路脇には車が何台も止まっていて、みんな車で来るんだな、と思う。軽く息が上がっている。
レンガ作りの小さな展望台はにぎやかだった。外のテラス席でお茶をしているひとが多い。冬のあいだはずっと暗いから、日が長い夏が嬉しくて、みんな外で食べるんだとか。展望台の一階はあまり広くない。入り口の隣の部屋にカフェがある。エプロンをした店員のきれいなお姉さんにドーナツとコーヒーを頼んだら、コーヒーが通じなくて頭が真っ白になってしまった。英会話の勉強、もっと真面目にやっておけばよかった。ドーナツは香辛料がきいててとてもおいしかった。
エレベーターで展望台に上った。広がる湖と、湖畔の街タンペレを見渡す。私はいま、森と湖の国にいるんだ、と実感する。
展望台の向こうはひとがほとんどいなくて、とても静かだった。ベンチに腰をおろして休憩する。風で葉っぱの揺れる音と、鳥の声が聞こえる。空気がおいしい。あのひとが言っていた「おすすめの場所」ってここかな。自分のなかで、湖が静かに広がっていくのを感じる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?