流町へようこそ 2

 数日後、仕事帰りに道に迷った。
 会社から駅に向かう途中で気まぐれを起こし、いつもは曲がらない角で曲がった。閉まっている駄菓子屋、紙パックの並ぶ古い自販機、鉄棒しかない狭い公園。こんな道があったんだな、などと思いながら歩くのは楽しい。
 切れかけた街灯の光がかちかちはぜている。その下の道路は車道と歩道に分かれているが、走る車もなければ歩行者もなかった。犬の吠える声、救急車のサイレン。かたたん、かたたんと、列車の走る音が遠くから聞こえる。タバコ屋の前を行きすぎる。肉屋、寿司屋、床屋とすべてシャッターが下りていて、いかにも寂れた通りという感じだ。
 前方に点滅する赤い光が見える。信号だった。そろそろ珍しくなってきた電球で、一つ目ではなく三つ目だ。この形のものが点滅するのは夜中だけかと思っていたが、違うのだろうか。信号の下には「流町」と書かれた標識がさがっていた。聞いたことのない地名だ。
 それにしてもおかしいな、そろそろ大通りが見えてきてもいい頃なのに。

 約一時間後、私は同じ信号の下で立ち尽くしていた。もう三回目だった。
 迷ったのだろうか。あり得ない、もう十年以上働いている会社の近所じゃないか。しかし事実、通り沿いの建物に見覚えはない。スマホの地図アプリには見覚えのある地名が表示されているが、現在地のアイコンは道のない1ブロックの中心を指してフリーズしていた。
 何よりおかしいのは、どちらに進んでもこの交差点に戻ってきてしまうことだった。左に曲がれば前の道に出、右に曲がれば今来た道に繋がっている。まっすぐ歩いているはずなのに。これではまるで、ちょうど無限大のマークのごとく、この交差点を中心に道が閉じているようだ。
 信号機を見上げる。交差点を挟んだ二対、四つすべてが赤の点滅だった。止まれの標識と同じ、一旦停止。まるで町そのものが一旦停止しているみたいだ、と思ってぞっとする。

 不意に、交差点から少し離れた民家の明かりが灯った。センサーライトなのだろう。なんだ、人がいるんじゃないか、そう思って見ていたがなかなか出てこない。代わりに灰色の猫が一匹、のそりと姿を現した。年を取っているらしい。ゆっくりとこちらを見やる姿には貫禄すら感じる。
「こんばんは」と声をかけてみる。迷ってしまったんですが、道を教えてもらえませんか。そう尋ねかけ、冷静になってやめた。猫は興味がなさそうに目を細め、ふんと鼻を鳴らした。お前は何をやってるんだ、と呆れられたようだった。本当に、何をやってるんでしょうね。
 猫はあくびを一つしてから、またのっそりと動き出した。真っ暗な通りを悠々と横切って、向かいの家の塀の隙間に溶けるように消えた。ひとり残された私はまたその場に立ち尽くすしかない。

(続きますよ)

#小説 #おっさん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?