かのくに C

 あいつは俺と違って、このくにの人間なんだ。当たり前じゃない、あなたと私だって生まれが違うのに。

*

 コピー機を使ってもいいですか。
 たどたどしく訪ねると、もちろん、という返事のあとであなたは言った。
 あなた喋れるじゃない。
 私はどぎまぎしながら、少しねと単語で答える。
 いいじゃんそれで、もっと話せばいいのよ。
 がっしりした体つきで、頑固そうで、不機嫌になるとすぐに顔に出るあなたが、真面目な顔をして言ったその言葉は、いつも私の背中を押してくれる。

 ありがとうを覚えたので、ばかみたいにありがとうありがとうと繰り返している。ホテルのエレベーターでいっしょになったひとに笑顔でおやすみを言われたので、いろいろなひとにおやすみと言った。何時から何時までがこんにちはか、なんて気にしなくなった。レストランのサーバーに、どう?おいしい?と尋ねられれば反射的にうまいよ!と親指を立てるんだけど、スーパーのレジで、調子どう?と尋ねられてもまだうまく答えられない。

 空が広いのはビルがないから、それに山もないからだろう。夏はかんかん照りからスコールに見舞われるし、秋の入りはハリケーン、冬は乾いた冷たい風が吹きすさぶ。
 朝方、まだ焼けている陽に照らされて、広がった草地に靄がかかる。白い滲みのなかの柵、牛たち、ぽつんと立った高い木、刈られた麦畑とロールベールサイレージ。
 ゆったりとした空気、ゆっくりとした時間が流れている。握りしめた腕時計の針がこちこち動くのを感じながら、なぜこんな小さな文字盤の上に立っているのかわからなくなる。

 私はまるで赤ちゃんみたいに、単語でしか話せない。文法も知らないし活用も知らない。だけど、私は、したい、知る、あなたを、もっと。教えてください。何をあなたが好きなのか、あなたにとって、何が大切で、どんなことを考えているのか。ごはんのおいしいレストランとか。おすすめのチョコレートとか。
 圧倒的に言葉が足りない。私たちはお互いにもっと話し合う必要がある。

#かのくに #拾った手帳

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