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 小説を書かねばならぬ、と私は独りごちた。
「別に小説じゃなくてもいいんじゃない?」と彼女は言った。

*

 机を見繕いに行った。
 兎にも角にもまずは机である。机あれ、と神は宣い机を作りたもうた。机がなければメモをとることはおろか、本を置いて読むことも、肘をつくこともできはしない。いわんや小説を書くことをや。何をするにしろ、まずは机である。
 家具屋には山のような机が並んでいた。大きい机、小さい机、だだっ広い机、こぢんまりとした机、格好いい机、かわいらしい机、柔らかい机、堅い机、甘い机、辛い机、そばにいて安心する机、ぴりっとした適度な緊張感をもつ机、自分のことばかり話したがる机、黙って頷きながら聞き役に徹する机、過干渉な机、放任主義な机、世界に一つだけの机、キャンベルのトマトスープ缶の机、螺旋状の机、紐状の机、肉製の机、骨製の机、AI搭載のスマート机、みかん箱といった、ありとあらゆる机が待ち受けていた。しかしそこには、私の琴線に触れるような、これぞという机はなかった。私は家具屋を後にした。
 何を隠そう、私の部屋には机が一脚ある。量販店で購入した安物だ。座布団の上に座っても微妙な位置に天板がくる。作業していると首と腕が苦しくなってくる。最近はデスクトップPCとディスプレイ、年々増殖する外付けハードディスク、ワイヤレスキーボードとマウス、ちょっぴりいいヘッドフォン、未読の本、なぜか買ってしまったうどんのようなイヤホン、山のようなレシートとダイレクトメール、置きっぱなしの年賀状、甘酸っぱいひと夏の思い出、などが驚異のバランスを保ちつつ積み重なっており、机本体は脚しか見えない。存在を忘れてしまうのも無理はないというものだ。
 というか、本当にそこにあるのだろうか?
 帰宅した私はすぐさまうずたかく積み重なったあれやこれやを片し始める。レシートとDMは捨てる。年賀状は文入れにしまう。甘酸っぱいひと夏の思い出は噛みしめておく。うどんイヤホンで音楽でも聞こうとスマホでサブスクリプション的サービスアプリを起動する。おっとこんなところに三年前に買ったまま未読の本があるじゃあないか。ぺらりと捲ればかような書き出しが目に留まる。

*

 手紙を書かなくちゃ、と彼女は呟いた。
「別に手紙じゃなくてもいいんじゃないの」と僕は言った。

*

「電話ならすぐだし、メッセージ送信でもいい」
 だめだよ、と思いのほか強い語調で返事があった。大切なことは紙に書いて、何度も読み直して間違いがないか誤解は与えないか確認してから、封筒に入れてきちんと封をして渡さなければ。
 いまの時代封をして送るべきものなんて、個人情報か公的手続きか冠婚葬祭か、あとは食品と爆弾くらいのものじゃないのか。彼女の言う手紙がその類のものである可能性は否定できないが。まさか爆弾じゃないだろうな。
 僕が黙っていると、彼女はさっそく便箋とボールペンを出してきてテーブルに置いた。僕がコーヒーを啜る向かいで、目にかかる長い髪をかき上げる癖、さらさらと軽快にペンを滑らせる音。二、三行ほど書いたあと、眉間に皺を寄せたり便箋を九十度回転させたりしながらそれを読み返し、首を傾げたり唸ったりしていたが、やがて頷いた。推敲手伝おうか、という僕の提案は却下された。
 彼女は立ち上がって戸棚の抽斗からふだんあまり使わない封筒をひとつ取ると、丁寧に便箋を折りたたんでなかに入れた。封をする。立ち上がる。宛名も書かずにどうするのかと見守っていると、玄関のドアを開けて外に出た。ドアがしまる。かたん、と音がしてアパートのドアについた郵便受けの板が動いた。外から投函したらしい。
「結局あの手紙は誰宛てなの」
 戻ってきた彼女に訪ねると、「君だよ」とのことだったので、僕は郵便受けを見に行った。
 しかし、そこに封筒はなかった。
 それを告げると「ちゃんと届いたんでしょ」と言う。何を言ってるのか意味が分からない、とでも言いたげな顔だったから僕はそれきり黙った。何を言ってるのか意味が分からなかった。
 彼女の手紙がその役目を全うしたのかどうか、僕は知らない。

*

 日記を書かなくてはならない、とあなたは言った。
「それは、こっそり読んでねって意味?」とわたしは尋ねた。

*

 あなたが日記をつけていることは、一緒に暮らし始めてから知った。後で振り返るために、その日あったこと、そのときの自分の感情や行動を言葉として残しておきたい。そんな目的なんてなくて、ただ書くこと自体が手段であると同時に目的だという。書くために書く、その強固な鎖が連綿と続いて今日に至っているらしい。
 そもそもあなたは自分の内面についてほとんど語らない。だからわたしは、あなたがなぜあのときわたしに声をかけたのか知らないし、なぜわたしとよく話すようになったのか知らないし、なぜわたしとたびたび食事をし水族館や映画館へ出かけ、なぜわたしと暮らすようになったのかを知らない。何度か尋ねてみようとしたことはあるけれど、いまさらそんなの無粋じゃないかという気もして結局訊かずにいる。
 そんなあなたが漏らした一言によれば、どうやらあなたは日記を書くことを自分に強いているらしい。
「義務なの?」
「義務じゃない。お風呂に入ったり寝る前に歯を磨くようなもの。習慣のひとつとして書かなくてはならない」
「惰性?」
「積極的だよ。書けないと震え出しそうだ」
「中毒?」
「酔ってはいない」
 あなたは半分に割ったロータスビスコフをもぐもぐしてから、深煎りコーヒーをすすった。
 ディンブラの注がれたティーカップに口をつける。
 あなたが文字を書きつける姿が好きだった。日記帳に、手帳に、メモ帳に。難しそうな顔をしながら、あるいはにこにこと楽しそうに微笑みながら。
 わたしのことは日記に書かれているのだろうか。それもまた何度も湧いてくる疑問だったけれど、心の水面に浮上することなくゆっくりと沈み、底に積もっていく。
 いつか堆積した疑問が水面に到達し、わたしの口から声となって発せられるかもしれない。そのとき、わたしはあなたと今のような距離を保っていられるだろうか。そのことが少しだけ怖い。

*

 メモをとりたい、と君は言った。
「かしこまりました」と机が答えた。

*

 君がいなくなってからというもの、机はいささか退屈していた。机は退屈する。なにしろAI搭載のスマートデスクである。毎日七時には目覚ましを鳴らし、リンクされた君のスケジュール帳から今日の予定を読み上げる。「九月二十日、彼岸の入り。本日はAさんの誕生日です。メッセージを送信しますか? プレゼント発送はいかがですか?」。返答はない。
 机はあまりにも退屈していたので、物思いに耽るようになった。ネットワークを通じ遠隔地のサーバ(正確な場所は机にもわからない)に保管されている記録を読みこむ。外気温が30℃を超えたのでエアコンをつける。十一時に自動清掃機能が開始され、小型クリーナーが机上の塵やホコリをきれいに吸い取ってロボット掃除機に渡す。かつてはクリーナーが天板を走り回るのがくすぐったく、落ちやしないかとひやひやしながら見守っていた机だったが、今や机の意識はここになかった。

 机が初めて起動した日は今から一年と三十七日前。そのときの室温は28.8℃。エアコンは稼働中だった。君はアプリを通じてユーザ登録をし、部屋に鎮座した新品のスマートデスクに「机」という名前をつけた。一通りのタスク設定と動作確認をおこなったあと、おそらく君は椅子に腰掛けて文庫本を読み始めた。というのは、君が数時間後に、机に読書記録をつけたことから推測される。

 メモをとりたい。
 かしこまりました。

 机は記録した。君の唇の隙間からこぼれ出す言葉ひとつひとつを。読んだ本について、次にお店に行ったとき購入するものについて、天気について、スマート家電の設定について。そのなかに、君意外の誰かのエピソードが混ざり始める。恋人だろうか? 君は机の前では常にひとりで、他者と連絡をとる姿すら見せなかった。それでは、君の創作? 今となっては誰にもわからない。
 それはちょうどこんな調子でメモのなかに立ち上がる。
「小説を書かねばならぬ、と私は独りごちた。別に小説じゃなくてもいいんじゃない? と彼女は言った。」

*

 机は何も言わない。
 私も何も言わない。

*

 はてさて。
 私は机の前で首を傾げる。新品を購入したはずなのに、サーバに蓄積されている膨大なログは何だ? そしてそれを機械音声で勝手につぶやき続けるこのAIは?
「私は椅子に腰掛け、冷めかけたコーヒーを啜りながら書き出しについて考えている。窓は開け放たれ、時折心地よい風が吹きこんで私の髪を梳いていく。キッチンから君が何かを刻む音。ピアノの上を軽快に飛び跳ねる手。戯れる幻想の猫。本のページがひとりでに捲られ私は席を立つ。ドアを開くと、君は窓から外に出て行くところだった」
 これは故障だろうか? ネットワーク上のヘルプを参照するも、「困ったときは」のページに当てはまる症状がない。AIの症状だって? 故障とはつまり病なのか?
「わたしはあなたの日記を覗いた。怒るだろうか。もう一度会えるなら怒られたって構わない。一番新しい一冊を始めから終わりまで読み切ったけれど、わたしについて直接的に書かれた箇所はひとつもなかった。ただ、随所にわたしの影があった。あなたひとりでは決して行かない水族館に行っていた。あなたひとりでは決して観ない映画を観ていた。あなたひとりでは決して入らない、可愛らしいカフェでコーヒーを飲んでいた。わたしは思わず声に出して言った。これじゃあまるで、幽霊じゃない。まるであなたもわたしも、最初からいなかったみたい。」
 故障だ。そう思いながら私は、上記のヘルプで解決しない場合、オペレータとの通話サービスはこちら、のリンクを踏めずにいる。このログを遡れば見知った誰かが出てくるのではないか。それはむしろ私なのではないかという予感。
「彼女の姿が二重に見えて目を擦る。当の本人は、テーブルに片肘をついてぼうっと虚空を見つめている。私たちは、と口からこぼれ落ちるみたいに言う。繋がらない二の句までの沈黙のなか、僕は私たちという単語に安堵し、すぐに疑わしく思う。それは彼女と僕を指すのか、それとも彼女と彼女を指すのか。
 いったい、いつから/どれくらい/話しているんだろうね。
 目の前の彼女の輪郭がぶれている。見間違いではなく、それぞれが微妙に違う言葉を口にする。
 例えば、私や貴方の背後/隣/に無数の私や貴方がいて、それぞれ異なる時間/空間/で話をしているとして。
 平行世界/現実と夢/みたいな?
 僕の声も二重に聞こえる。まるで言葉が口から出た途端に違う言葉にすり替わってしまうような感覚。左右を確認するがもうひとりの僕は見えない。
 彼女はかすかに頷く。
 たぶん私は、貴方のうちの誰か/何人もの貴方/に向けて手紙を出したんだと思う。
 自分の内側がすうっと冷めていく。僕/誰か/は席を立って、もう一度ポストを確認しに行く。/それを僕は横目で見ている。/

 かたん。玄関のほうで音がする。アパートの薄い壁越しに、配達員の足音は聞こえない。私はしばらく音のしたほうを凝視した後、静かに机を離れる。行く先に誰もいないことはわかっているのに、誰かが先を歩いているように感じる。もしくは、背後を。
 ドアに備えつけの郵便受けに、無地の白い封筒がひとつ。
 触れてはならない、何の根拠もなく思う。けれど意に反して私/無数の私のうちのひとり/はごく自然にそれを摘まむと、端をぺりぺりと破り、便箋を取り出した。
 便箋には数行しか書かれていなかった。
 その文章を読み終えた瞬間、
 ぱん、
 と間抜けな音がして、私は爆発した。

*

 小説を書かねばならぬ、と私は独りごちた。
「別に小説じゃなくてもいいんじゃない?」と彼女は言った。「例えば無数のわたしがいて無数のあなたがいるなら、詩を書いてもいいし、批評を書いてもいい。絵を描いてもいいし、プログラムを書いてスマートデスクをハックしログを改竄してもいいんじゃない?」
 それでも私は小説を書く私だから、小説を書かねばならない。
「それは、ねばならない、ではなくて、せずにいられない、じゃないの?」
 しかし私はいま小説を書いていない。それも、もう長いこと。書かない物書きに価値はない。
「価値なんて読者が決めることでしょ。小説を書かずに何をしていようが、あなたは小説を書くあなたなのだから、あなたの行為は小説になるんじゃないの」
 わたしにはよくわからないけど、と彼女は心底つまらなさそうに言った。
 確かに私の行為は小説なのかもしれない。私は小説の私だから、小説でしかものを考えられない。人生は小説で、関係性も小説だ。ゆえに君もまた私にとっては小説に他ならない。
「勝手にひとを小説呼ばわりするのはやめて」
 君には君の小説を書いていってほしい。
「バカみたい。あなたと一緒にしないでよ。わたしにも無数のわたしがいるってことを無視するの? わたしは小説のわたしじゃない」
 じゃあ君はいったい何をする君なんだ?
「さあ、何をするんでしょうね。手紙を書くのかしら。あなたを爆破するのかしら。窓から外に飛び降りるのかしら。ある日、忽然と姿を消すのかしら」
 私にはわからない。
「だったらわたしを小説にすればいいじゃない」

*

 いま私は机に向かってこれを書いている。傍らにはカップに注がれたコーヒーが湯気を立てており、窓から吹きこむ風がカーテンを揺らしている。これは小説かもしれないし手紙かもしれない、日記かもしれないしプログラムかもしれない。もはやこれが何であるのか私にはわからない。読者諸氏に判断を委ねようと思う。
 ただ、どのような形式であったとしても、記される対象はひとつである。
 私は彼女を描き続けている。

#小説 #短編 #机

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