流町へようこそ 4

「名前、なに?」
 ひひひ、と笑って、アイが尋ねた。
 町は静まり返っている。まるで聞き耳を立てるように。じわじわと追い詰められているような錯覚を覚えながら、私は名乗った。
「ええと、

 スズキですけど」
 
「なんだー、スズキかよー!」静寂を破ってアイが叫んだ。「ハズレじゃーん! なんだよー、もうー」
 顔をしかめ、心底つまらなさそうに言う。さすがにこれにはカチンときた。知らず知らず溜めこんでいた苛立ちが、頭の中で言葉になってぶちまけられた。なんだとはなんだ。ハズレだと? 失礼な。世界中のスズキさんに謝れ。「なんだとはなんだ」と、思わず大きな声が出た。
「だから、ハズレだよ、ハズレ。正直、俺はどっちでもよかったんだけどさ」まるで要領を得ない。もう用はないとばかりに伸びをしたりしている。
「で、スズキはどうすんの? 帰るの?」
 いい加減にしろ、呼び捨てにするんじゃない、が出そうになるのをぐっと堪える。なんて言った、今。
「帰れるのか」
「んー、まあね……ただ、条件があって」
「どうすればいいんだ」
「なんかくれ」
「……は?」
 帽子のつばの下で、口がにやにや笑っている。
「俺になんかくれたら、案内してやる」
「何かって、何を」
「前に来たやつは自転車だった。でもおっさんは面白そうなもの持ってないからなー。その黒い服も微妙だし」
 念のため、ズボンのポケットをさぐってみたが、しわくちゃになったハンカチくらいしか出てこなかった。アイは首を振ってから、指し示すように顎をくいっと上げた。
「鞄の中になんかないのか?」
 これはダメだ、と抱えようとしたが、すでに鞄を掴まれていた。おい、待て、やめろと揉み合いになる。強い力で引っぱられ、負けじと引っぱり返し、そんなことを繰り返していたら、二人で派手に転んだ。からん、と何かが落ちる音がして、慌てて体を起こす。
 暗いアスファルトの上に落ちていたのは、ピンク色のケースだった。内ポケットに入れていた、あれだ。
「なんだこれ」
「やめろ」と私は情けない声で叫んだ。持っていたことが知られてしまい、動転していた。
 アイが楽しそうにそれを拾い上げる。返せ、と伸ばす私の手をひらりとかわし、蓋を開く。いや、別に返さなくてもいいんだが。
 アイが息を飲む。
 私はじっとそれを見守る。
「これ、なんだ?」
「それは……」
 そのとき、口ごもる私に、どこからか妙なひらめきが降ってきた。思いついたセリフに笑い出しそうになる。どうにか顔を引き締めて、声音を落として言った。
「通信機だ、美少女戦士の」
「戦士? こいつらが?」
 アイはアニメのキャラをまじまじと見つめる。その瞳はきらきらと光っていた。本当に信じているのか。もしかしたらアニメを見たことがないのかもしれない。無邪気な子どもを騙すような罪悪感を覚え、少し胸が痛んだ。しかしその反面、バカにされてばかりじゃ癪だから、ちょっとからかってやろう、とも思っていた。私は続ける。
「そう。世界に危機が訪れたとき、彼女たちはその鏡を通じて連絡を取り合う。力を合わせ、悪の組織と戦うために」
 口から出てくるデタラメに、自分でも内心あきれ返ったが、アイはいたって真剣な顔で「世界の危機……悪の組織……」と復唱している。
「どうしておっさんがこれを? あんた、何者なんだ?」
「それは……今は言えない」それを聞いたアイは、勝手に何か納得したらしく、より深刻そうな顔をした。「ただ、私の役目は、その通信機を戦士となる少女に渡すこと……」
「つまり、俺にか」
 えっ?
 目を丸くする私に、アイはふて腐れた。
「俺はこれでも、女だ。十四歳」
「そ、そうだったのか」いろいろな意味で驚きつつも、私は笑みを浮かべて見せる。「なら、安心だ。これで五人全員を見つけることができた」
「俺はこれからどうすればいいんだ?」
「今までと同じように暮らしていればいい。もし必要になれば、連絡が入る」
「わかった」
「そのときは、どうか世界を救ってくれ」
「まかせとけ!」
 ガッツポーズをしてみせる姿はどう見ても少年だ。だが、すぐに鏡を覗きこんで目を輝かせているのは、確かに女の子なのかもしれなかった。
「おっさん、ありがとな」
 アイはそう言うと自転車にまたがり、来た道をふらふら引き返し始めた。
「じゃあなー!」と叫んで手を振ってくる。
「気をつけて」私も手を振り返す。
 なんか慌ただしくて、よくわからないやつだったな、などと思い。
 ……いやちょっと待て。
「おーい! 帰り道は!?」
 叫ぶもすでに遅く。アイの姿は夜の中に消えていた。ただ、囁くような声を残して。
「ギンにきけ」

(もう少し続きますよー)

#小説 #おっさん

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