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「夢を見ていた頃の話です」

 夢を見ていた頃の話です。
 一風変わった授業内容にクラスは騒めき立っていました。それを見た先生は、いつかの優しかったお母さんみたいな笑顔で言います。
「はいはーい、静かにー。黒板にも書きましたが、今配ったプリントにみんなの将来の夢を書きましょう。なれるかなとかって考えず、叶えたいものを自由に書いてくださいね」
 クラスのみんなが悩み始めたところで、後ろの方の席から快活な声がしました。
「先生の夢はー?どんなだったのー?」
 邪気のない声とその質問に、みんなが「知りたーい」「教えて教えてー」と連なります。
 先生は少し間を置いてから、淀みなく言いました。
「先生はね、今みんなの前にいる、この"先生"になりたかったの。みんなに国語を教えたり、算数を教えたり、一緒に運動会の準備をしたり、給食を食べたり…そんな先生になりたかったの。だから、先生の夢は叶ってるんですよ。それに、みんなのおかげで、先生は楽しいです」

 クラスのほとんどが書き終えて徐々に私語が聞こえ始めてきた頃、教室内を見回ってた先生が僕の机にある真っ白なプリントを見て言いました。
「_____君は、将来の夢ないの?」
 なりたいものも好きなものも特に見当たらない僕は黙って頷きます。
 すると先生は続けて言いました。
「野球選手とか総理大臣とか、そういう職業じゃなくてもいいのよ。こんな人になりたい、とか…__君はどんな人になりたい?」
 夢というものが人柄や希望でもいい、と知ったのはこの時が初めてでした。
 僕は少し不安になりながらも、真っ白な世界に僕だけの地図を記すような気持ちで鉛筆を滑らします。少しずつ、僕の道標が生まれていくようでした。
 出来上がったそれを見て、なんだか、少しだけ「意味」を感じた気がしました。
「身の回りの人を笑顔にできる、そんな優しい人になりたい」
 先生はやはり、いつかのお母さんみたいな笑顔で僕を見つめていました。


 夢を見ていた頃の話です。
「ねえ、まだー?」
 カウンターの椅子に背を預け、くるくる回りながらいつもの調子で君が言います。
 まだ作業が終わらないこと、そもそも君が借りていった本がないと本当の意味でこの作業は完了しないのだということを僕は伝えます。
「本だってハンカチだって、なんだって返したらそこで終わっちゃうでしょ?」
 そんなことを言いながら、やはりいつもの調子で君はバッグから本を取り出して見せつけてきます。また今度でいいよね、と笑いながら。
 呆れて僕が背中を向けると、少し拗ねた声で君が言います。
「__はさぁ、なんでそんな本好きなの?毎学期図書委員やってるし」
 本を読むのは単純に人生をやり過ごすためだということ、図書委員をやっているのは一人になれるからだということを僕は伝えます。
 伝えた後で、少し言い過ぎたかな、と思いました。
 するとふいに、背中から体温を感じました。少しだけ泣き出しそうな息遣いも感じました。
 首元にかかる息と回された腕がくすぐったくて、だけどどことなく安心できて、僕はそのままでいました。
 そして今度は僕だけが知ってる声で君が言います。
「何度同じことを言ったっていいよ。その度に、こうしてあげるから」
 心に触れる時、そんな風に他人には優しいから、僕は君のことが、いや、僕は君のことを、夢見てるのかもしれないな、なんて思いました。

「ねえ、ずっと一緒にいると思う?」
 なんて答えたのか、僕はよく覚えていません。ただ、その時の夕焼けがどこか特別に見えたこと、君のスカートがひらひらと風に揺れていたこと、なんとなく君の笑顔が寂しかったこと、その歩道橋が別れの場所になったことは覚えています。
 最後に僕たちは夢の話をしました。難あり同士、困ったら一緒に居ようよ、って。そんな約束をすれば、こんな僕たちでも未来に繋ぎとめられるんじゃないか、って。そう思いたかったのかもしれません。
 今思えば、その頃から君の心は、あの歩道橋の上でタイミングを見計らっていたのかもしれないね。僕たち、難あり同士は他人には優しいから。
 でも、本当は、いつか自分にもそうなれたらよかったね。
 別れ際、なんとなく君が世界に溶けてしまう気がして、もう君は帰ってこないような気がして、僕は返したんだ。本だってハンカチだって、なんだって返したらそこで終わってしまうのに、僕はその言葉を返してしまったんだ。
「ねえ、ずっと一緒にいると思う?」


 夢を見ていた頃の話です。
 朝、目が覚めると泣いていました。
 夢の影はおぼろげで、とても儚く、とても脆く、手を伸ばした瞬間生まれた空気の振動で残像は濁ってしまいました。
 僕はもう一度思い出そうと必死に目を瞑ります。
 砂漠から一粒のビーズを見つけるように、海から一粒の涙を見つけるように、この世界で君を見つけようとします。
 すると少しずつ映像が戻ってきます。
 夜の大通り、不気味に揺れる草木、目に痛いヘッドライトの光、君に繋がれた左手、マフラー、前見た時には咲いていたはずの花、坂道、白い建物、窓の中からこっちを見る人、教科書、凛とした声、黒い服の見送り人、幼い柄のハンカチ、少しはねた髪の毛、綺麗な指、降り止まない通り雨、花束、空に昇る煙、返してしまった言葉、返してくれなかった本一冊。
 そして今度は言葉を思い出し始めます。
「私、分かってたよ。__が私と同じだってこと」
「大切なものを壊したくなってしまうことや、自分をどんどん不幸にしてしまうことを話してくれた時から」
「でも、そのままじゃ本当に私みたいになっちゃうよ」
「ねえ、最後に聞かせて」
「これからは一人でも歩ける?」
「そっか。そしたらさ、」
 気づいたら僕はまた眠っていました。もう、夢の中に君はいませんでした。
 
 僕はよく、夢を盗まれます。
 さっきまでそこにあったはずの何かはなくなってて、ただ微かな体温や影が残っている。目を瞑っても、思い出の中に手を伸ばしても何も掴めない。かわりに盗まれた夢の数だけ枕元に涙が残されています。
 きっと君の仕業だ、と僕は思います。
 ずっと何かを追いかけていたけれど、掴もうとしたけれど、両の手に溢れる憧れだったはずのものを見て思うんです。
 僕を形作るものって本当にこれなんだろうか?と。
 僕らは手にしたもので出来ていくんじゃなくて、本当は、
 僕らはなくしたもので出来ていく。
 そう思わない?
 ねえ、君はさっき見た夢を覚えてる?
 それとも、あの日からずっと、今も夢を見てるんだろうか。



夢うつつ


海を渡る赤いバスの車窓
君はただ通りすぎる思い出を見つめ
あの陽だまり、雪に変わり
もうすぐ僕に降る 世界を白くする

日々が巡る 季節変わる 君がマフラーをつけて 僕はコートを着る
ほころび、むすび、いつかのまぼろし
大人びていく君を見て僕は聞かずにいられない
「ねえ、ずっと一緒にいると思う?」

君が遠のいて消えた

僕らはなくしたもので出来ていく
だからきっと僕は君で出来ている
だからもう、大丈夫だよ

夢を見た



午前五時「夢うつつ」各種配信
https://big-up.style/iPNW8WP79I

午前五時「夢うつつ」Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=k5UHKLAKZE0

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