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部活動。

 先月末、全国高体連がインターハイの中止を発表。それに続いて高野連も夏の選手権大会(甲子園)の中止を発表した。これに伴い、ブロック大会や都道府県大会、地区大会が中止となった。本当であれば、北海道では各支部予選がスタートしている時期だ。
 高校3年生にとって、この中止は大きすぎる試練だ。ただ単に「3年間頑張ってきたから」という事ではなく、高校卒業と共にこれまで取り組んできた競技を辞めてしまう生徒が大半という事実がそう思わせる。完全燃焼する場を与えられず、でも感傷に浸る間も無く、進路活動に向かわなくてはいけない。そんな大きな節目に、本来あるはずの大会が行われないと言うのは、可哀想としか言えない。ただ、教育に携わる者として、これが苦渋の決断であったことは容易に推察ができる。生徒の安全が担保されてこそ、スポーツや文化だ。命の危険を晒してまで大会は実施できない。

 多くの識者が「大会がなくてもこれまで頑張ったことは、意味のないことではない」と言う。綺麗事だと思う。今の高校3年生の気持ちは、この世代の子どもたちでなければ本当に理解はできない。教員という仕事をしている以上、次に気持ちを向かせることが私の「やるべきこと」である。

 日本のスポーツ界や文化界の発展に、中学校・高等学校の「部活動」はこれまで大きく貢献してきた。かつてはアマチュアスポーツだった野球、サッカー、バスケットボール、バドミントン、卓球、本当に多くの競技で「プロ化」が進んでいる。これらの基礎を築いたのは、部活動だと思う。

 しかしながら、昨今の教育業界の課題である「教員の働き方」。疑う余地なく公立学校教員は、ブラック企業の労働者だ。私の話で恐縮だが今年度、勤務時間である8:10〜16:40(うち休憩45分)で勤務を終えられているのは、皮肉にもこの新型コロナウイルスによる休業期間中だけだ。
 教員の労働時間超過の足枷の一つは部活動だ。(ここでは専門、専門外の話は置いておくが)特に高校の運動部は多くは放課後、18時・19時頃まで活動する。それだけで、2時間程度の超過勤務。週に1度の休養日を入れても月30時間は下らない。原則、教員は活動時に生徒の指導に当たる。行事が目白押しの1学期(4〜7月)の繁忙期には、部活動指導の後に教材研究をする。
 忘れてはいけない。教員が一番大事にしなければならないのは、教科指導だ。部活動の指導を終えてから、教材研究や分掌業務を行っている。日中の授業以外の「空き時間」では処理し切れるものではない。

 此度の新型コロナウイルス感染症拡大は、学校の在り方を再考するきっかけではないか。特に部活動については、地域活動として行うことを全国規模で検討することを願っている。地域の活動になれば、縦の関係(子どもと先生、親)、横の関係(生徒同士、先輩後輩)に続く「斜めの関係」が生まれる。また、部活動の地域活動化で仕事も創出できる(収益化はまた別の問題として残るが)。活動に必要なインフラはこれまで学校が担ってきたのだから、学校が提供すれば良い(現に小中学校の学校開放は行われている)。管理の問題(課題)は残るが、解決は可能だろう。
 スポーツと学校を切り離して考えることが出来るので、教員の負担軽減にも繋がる。そして最大の期待は、地域の教育力向上だ。自分の子ども以外の子どもと触れ合うことで、自分の子どもの良いところを再発見できるのではないか。

 この3月から関心の高くなった教育問題。それぞれを単一的に考えるのではなく、オンライン授業の検討、行事、部活動、入学時期、少人数学級、教員過剰労働など、総合的に十分な議論が交わされ、20年、50年、100年後の日本の教育を支える下地ができることを期待する。

 まずは、今の3年生の気持ちに寄り添うために出来ることから始めたい。