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人出が減らないことに、少し安心感も感じたという話

最初にお伝えしておきますと、最近の変異型の拡大や第4波について、早く収束してほしいと思いますし、そのために自分のできることはしているつもりでおります。

個人的な話として、現在療養中ということもあります。
自分が通っている病院も影響を受け、すなわち自分の治療についても影響を受けています。
自分がコロナにかかったらヤバそうなので、感染につながりそうなことは、これまで以上に避けています。

さらに言えば、コロナの影響で大変な生活を強いられている方。
経済的、肉体的、精神的な負荷が尋常ではない方々も
大勢いらっしゃることを考えると、本当に早く収まってほしい。

「できるだけ、みんな感染対策をしてほしい!」と思いますし、でも自分が計り知れない人の事情もいろいろあるだろうから、一概には言えないとも思ったり

朝のテレビでコメンテーターが、「日本人は〇〇だから」と声高に自説を述べるたびに、「お前は日本人の代表か」と心の中でつっこみを入れながら

「子どもは、やっぱり外で遊ばせてあげたい」と思うけど、
「大人のカラオケ大会は我慢しようよw」とか思ったり

ぐらいな感じで特に主張があるわけではなく

テレビやネットでチラチラ見る情報ぐらいしか持っていませんので、一体誰の責任だとか、もっとこうすべき、などと公の場で言えるほどの見識もありません。

ただ、早く収まってほしいし、自分ができることはする、というスタンスです。

という前段の言い訳めいた話が長くなりましたが、ちょっと思ったことを書きます。

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去年の春の緊急事態宣言の時。

なんだか世の中殺伐としはじめ、楽しみも少なくなってしまっているから、せめて甘いもの好きな実家の両親にお菓子でも贈ろうかと思い駅ビルに買いに行ったのですが、
「明日から店舗を閉めるので、もう配送は終了しました」と言われてしまいました。

駅ビルでも、本屋やアパレル系のショップが閉まるのは予想していたのですが、スイーツ系の店舗が並ぶフロアまで休業とは思っていず、ちょっとびっくりしたんですよね

自分の中で、勝手に、スイーツ系=食品=不要ではなく「要」なもの、と分類してしまっていたからですが、

私    「え、スイーツ系も休業ですか?;;」
お店の人 「はい。私も、ここは閉まらないと思ってたんですけど;;」
私    「え、このフロアのお店全部??;;;」
お店の人 「全部;;;」
二人   「;;;;」

的な会話をして、「なんと、これはほんとに非常事態」とようやく実感し、一方で寒々しいものを感じました。

確かに非常事態ではあるけれど、そして、このほうが感染対策としてはいいんだろうけど
「非常時」だというお上の号令で、ここまで生活が制限されてしまうのは初めての体験。

「もしかして、戦時中も、こんな感じだったのかな」と想像してしまいました。

こうやって制限が始まって、少しずつ拡大していき、世の中がヒステリックになっていって、いろいろなことが「不要不急」と切り捨てられてしまう。

音楽やアートは、「不急」かもしれませんが、決して「不要」ではないと思っています。
スイーツだって必要です。

そりゃ、一時的には仕方ないと我慢すべきなのかもしれませんが、
「不要」だと判断されてしまった。そのことへの衝撃。

まるで「贅沢は敵だ」というスローガンが掲げられた、昭和10年代に迷い込んだような。
見た目は、便利で明るい現代の街並みなのに、何か一部だけタイムスリップしてしまったような。

駅からの人気のない帰り道、そんな不思議な感覚に捉われてしまうぐらい、
自分の中で現実として受け止めきれていなかったこともあると思います。
また、「ほんとにこれでいいのかな」という、危機感と言ったら大げさですが、「嫌な感じ」のようなものもあったと思います。

なので、いま、感染者数が増加していく中で、人出が減らないことが問題になっていますが、ちょっと安心しているところもあるのです。

今は、昭和10年代じゃなかった。
確かに、令和だった。

感染対策、経済的な観点、医療やオリンピックにしても、現状は問題だらけかと思います。

でも、「社会」としては、ある意味、正常なのかも。

みんながみんな、「非常時」という一言で、同じ方向を向くことの恐ろしさを考えたら、正常な部分が機能しているからこそ、こういった事態なのかもしれない。

と思った次第です。

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