【フィクション・エッセイ】青松輝の短歌を読んだ③(個人誌「untitled」(2021年11月23日)の頃)


シャンプー 僕は自殺をしてきみが2周目を生きるのはどうだろう

青松輝

どの地点から2周目になるのか/2周目が始まるのか/2周目を始められるのか、というのは即ち、どの地点までを1周目とするべきか、ということになる。具体的に、どの地点になるかというと〈ぼく〉の自殺を見届けたタイミングになるだろう。
しかし、あくまでも自殺であって他殺ではない。こちらのタイミングで2周目を始められるわけではなく、あくまても〈ぼく〉のタイミングと意志によってにはなる。
あくまでも〈ぼく〉の意志によって、である前提は重要には思えるが、この一首の結句は「どうだろう」であり〈きみ〉に「どうだろう」と提案されている。どの程度の感情で提案されているのかは定かではない。ただ言ってみた、くらいのかもしれないし、わりかし深刻な感じかもしれない……。
受け取り方による、とも言える。
とはいえ、そもそも(少なくともフィジカルとしては)現実的ではない提案ではあって、メンタル的な、思考実験のような提案ではあるかとは思う。

それでも何らかを継承するというニュアンスで全く不可能ということはなく、ただし2周目を始めるにあたって1周目を規定してしまう(今の〈青松輝〉や〈青松短歌〉をカテゴライズ・名辞する)のは、ほぼほぼ他殺になるのだと思う。

   ○

秋の、東京での文学フリマで購入した、青松輝の個人誌「untitled」はプラスチックのCDケースに入っていて、さながら歌詞カード(今や懐かしい)サイズの冊子に短歌が印字されている。
見開き8ページに、横書きの短歌が30首ほど。例の〈シャンプー〉も含まれた30首ほど。
全体的に、詩的抒情が強い30首だと思う。

キャラメルを買って、壊れそうな朝の空気を覚えてみようとはした

青松輝「untitled」

キャラメルを買ったら、覚えてみる(という、感覚的な能動意志に)実体が生じるのだろうか……と〈私〉は思いながらキャラメルを買ったのは、当然、この一首を読んだあと。
手元には、朝方のセブンイレブンで購入した森永ミルクキャラメル。

しかし、だけれど「みようとはした」という一首での言い方には、覚え損ねたニュアンスがあり、なのに覚えようとしたことは覚えていて、だから今の、一首の現場における今の、朝の空気……空気≒雰囲気≒感じを覚えていようとし、そして、覚え損ねた作中主体・作者〈青松輝〉がいる。(この一首の現場に〈私〉はいない、から、その朝を知らないが)覚えていようとし、覚え損ねた作中主体・作者〈青松輝〉が、一首そのものだと対峙する。
とはいえ、あくまで〈青松輝〉にある朝(の空気)において「壊れそうな」という形容は如何なものだろう。

 キャラメルを/買って、壊れそ/うな朝の

という定型韻律上の句切りは、まだ壊れていない朝の壊れを曖昧に予感させる。予感させはするけど、つなぎとめられている感じもある。
壊れそう……に、壊れる/壊れないの二択があるとして実際の朝には、壊れないのニュアンスを避けるのは叶わない。壊れなかったとしても、時間は経過し、朝ではなくなってしまう。
覚えてみようとするのは、心の内で永遠にしようとする試みだと思う。
結句「覚えてみようとした」のは、永遠にはできないという諦念と永遠にはならないからこその〈きらめき〉だという甘受がある。

   ・

なんか未来レスキュー忘れてしまいそう花吹雪のよう錠剤舞って

青松輝「untitled」

たとえば短歌一首の仕上げ方を考えながら読むとき、この一首は結句に始点がある。
錠剤が舞う、という景を構築しようとするとき粉末状のであれば容易い……が、粒状でないと錠剤とはならない。
ならない、のが困るのは具体的なフィジカルが「舞って」いるのを、うまく構築できないから。
しかし、服用した錠剤が体内で飛散するのを想像上で構築することはできる。
だとして。
体内で分解し錠剤の効果が発揮される過程の分解を飛散としているけれど、飛散のところを一首では「花吹雪のよう」と比喩されている。一首における「花吹雪のよう」は「のように」ではない。
もしも、花吹雪のように錠剤舞って……であれば、錠剤が舞っている様子を形容するために花吹雪が先にある、ような気がする。
しかし、花吹雪のよう錠剤舞って……なのは、形容(心情)と描写(視覚イメージ)が同時にある、と思う。
とはいえ。
いったい「なんか未来レスキュー」のタイミングについて、つまり「錠剤舞って」の以前にあるのか以後にあるのか。この一首は結句に始点がある、という自説を通したいと思うにしても、ほぼ同時。
ほぼ同時なのは、忘れてしまいそう……なほどの衝撃・刺激として「錠剤舞って」があるとして、しかし初句の時点では「なんか未来レスキュー」を忘れてはいなくて、忘れてしまいそうな未来が念頭にあるからこその「錠剤舞って」だろうし、それって忘れたくない感情の強さが「なんか未来レスキュー」にはあって、だから。
だから、結句からの遡りがあるからこその「なんか未来レスキュー」が大事にある。

あるなって思いながら〈私〉は、呟いてみる今から未来へのレスキューとして呟いてみる。
「なんか未来レスキュー」

   ○

シャンプー 僕は自殺をしてきみが2周目を生きるのはどうだろう

青松輝「untitled」

やはり、この一首で生きるのは〈ぼく〉の代わりに〈きみ〉が、というよりも〈ぼく〉自身が生き続ける、生存のニュアンスがあるような気もしているところ。
つづく…………

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