見出し画像

「今、ここから」始めよう。

先日、同僚が「何で高校生の時にもっとしっかり進路を考えてえらばなかったのだろう」と言った。今の職業よりもなりたいものがあるらしいが、それには思い切った方向転換が必要で、パートナーがダメというのは目に見えているようだ。・・・・・・うん、まあ、そこは家族の関係性とか、価値観だとか、経済状況とか年齢とか色々事情はあるよね。

その時の私は、「その時に自分が持っている虫眼鏡でしかものを見れないから、それは仕方ないんじゃないかな」と伝えたと思う。(虫眼鏡っていう例えはどうなんだ、って後から思った。もうちょっとわかりやすい言葉なかったんかいな)

しっかりと、進路を考えてなかったわけではないと思う。その時はその時で、精一杯だったと思う。こうじゃないとダメとか。家族の考えに縛られたり。思春期・青年期の頃は、自分のことでいっぱいいっぱいになるのは当たり前で。何かにしがみついてないと安心できないことだってあるし、周りのことに目を向けられなかったり、世界が怖く見えたり、もっとしんどい時は、世界は敵ばかりだとか、襲われるとか思っちゃうよねぇ。

中学生か高校生の時には裕木奈江がポケベルがならなくて待ちぼうけしていた。大学生になって、Windowsが出てきてインターネットが初めてできる環境になるとか。PHS、携帯電話、そしてスマホ。世界中で起きていることが、手のひらの中のスマホを検索すればすぐにわかる。クローズドだったところもオープンになって来た。特に最近は、コロナ禍の影響で世界中がすごい速さで変化している。私にとってとってもありがたいのは、海外や都会に行かないと受けられなかった研修がzoomなど会議システムやウェビナーで受講できるような素晴らしい時代になったことだ。

それなりに年齢を重ねたり、優しい人たちがそばにいて気持ちが安定したから、周りが見渡せて、様々なツールを駆使して自分に合っているものが見えるようになったし、いろんなものを受け入れようという気持ちになってきたし、チャレンジもできるのだと思っている。

世界はいつだって目の前に広がっている。でも、果たして自分の心が世界に対して開かれているのか?何をみて、誰と話して、どう受け止めるか?好奇心は旺盛?何に興味をもつ?そして、どんな行動をとる?

あの頃に戻って選択し直したい、という後悔の気持ちは私にはない。いつだって、「今、ここから」始めよう。自分がやっていきたいことをやればいいのだ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?