2年半前の性被害・暴行~被害届提出を前に

2021年の夏も終わりですが、私が住んでいる大阪はまだまだ暑い日が続いています。

私は2019年1月末に上記被害に遭い、被害がきっかけで心身共に病んでしまい、それに伴って働くこともできなくなり、'19年4月に生活保護を申請しました。
現在は、週3回福祉事業所に通って、就職を目標に訓練を受けています。

委任契約をさせていただいた弁護士の方とは、

・民事で相手に損害賠償請求訴訟をすること
・警察に告訴状を出すこと

で、お話を進めておりますが、先だって私が被害届を提出することになり、そのために動いています。

先日、#9110(警察相談ダイヤル)に電話して、被害に遭った場所が名古屋市であり、現在私は大阪市在住なので、どちらに被害届を提出するのか・被害の概要などを聞いてもらい、担当の警察署・部署を教えていただきました。

現在に至るまで、複雑な経緯があります。

・相手との関係性
・なぜ被害届提出まで約2年半もかかったのか
・その間、なにをしていたのか

その3点を今回はお話ししたいと思います。


相手との関係性

実は、加害男性と私は以前交際していたことがありました。
被害('19年1月末)の2年以上前に破局していましたが、当時、会うことは無かったものの、LINEなどで知人のひとりとして交友があったのです。

被害当日に彼と会った理由は、彼から頼みごとをされて、それを私が承諾したからでした。


なぜ被害届提出まで約2年半もかかったのか

・上記、加害者との関係性
今考えると、被害に遭ってここまで心身にダメージを受けてしまった理由のひとつに、通常の性暴力や犯罪の被害の他、彼との関係性があった気がします。

一度はお互いに好意をもって交際していた過去。
破局したあとも、私は彼を人として尊敬し・信頼していた事実。
その相手に、性暴力と暴行という耐えがたい裏切りを受けた。

その事実が私を蝕んできたような気がします。

・被害を被害と認識できなかった自分
被害に遭った日、彼に会いにいったのは私で・逃げなかったのも私で、「暴行を受けたのも、私が彼の怒りを買ってしまったからだ」と被害直後から、ひたすら自責の感情に苛まれました。

また、被害に遭ったことは、家族にも友人にも話せず、ひとりで抱えていたので、正しいアドバイスをしてくれる人もいませんでした。

・心身の異常~精神疾患の発症
私は、被害を受けたとき、殴る・引きずるなどの暴行で怪我をしています。
特に左足の怪我が酷く、2週間程度は歩くのも辛く3か月はヒールのある靴は履けませんでした。

しかし、「自律神経失調症」と「うつ病」の急性期(最近、急性ストレス障害という病名があることを知りました。もしかしたら、そうだったのかもしれません)の症状に襲われて、微熱・身体の震え・身体の痛み、動悸が止まらない・強度の倦怠感・強いショック状態が続き、内科・精神科は被害2週間以内に受診していますが、足の怪我に関しては診察を受けていません。

'19年2月に、はじめて自殺未遂をしました。
その時手元にあった薬とお酒を飲み、自室のカーテンで首を吊りましたが、カーテンがうまく結べていなかったようで、目覚めたときには、床に横たわっていました。まだ寒い、2月の朝4時頃だったのを覚えています。

当然ながら、そのような状態では仕事もできず、退職するしかありませんでした。社会保障のない仕事をしていたので失業保険も貰えませんし、私の家は母子家庭だったので、自分が働いて家族を支えていました。
そのため、家族に経済的支援を受けることはできませんので・また負担をかけたくないという思いから区役所に行き、生活保護を申請するしかありませんでした。

実は、弁護士さんに相談したのは、今回で3回目です。

まず'19年8月、一度目に担当して下さった弁護士さんは、法テラスの対面相談でお会いした方です。その後、先生の事務所に伺い「警察に告訴状を提出しましょう」ということで引き受けていただいたのですが、告訴状を作るためには事件の詳細な時系列や被害の様相を思い出して、先生に伝えなければなりません。そのために資料を作成しているとき、明らかに精神状態が悪化し出し、初めて精神科閉鎖病棟に入院することになり、先生への依頼は中断して頂き、被害を訴えることを断念しました。

入院した精神科病棟では、心理検査や脳のCTなどを受け、主治医の診断は「解離性障害」でした。

当時の私は、意識が遠のき現実感がなくなったり・身体が硬直して動かせなくなったり、話せなくなったりする。
リストカット・根性焼き・大量服薬等の自傷行為や自殺未遂を繰り返す状態でした。

「仕事がしたいが、健常者として働くことは難しいだろう」と思い、'19の10月には、精神障害者保健福祉手帳を取得しました。

同年12月には就労移行支援事業所に通い始めました。
被害のことを考えても、もう過去は変えられない。と、その頃の私はとにかく被害を受けた事実自体から目を背けようと必死でした。

しかし、自分の意志とは関係なく、度々起こるフラッシュバックが私の邪魔をしました。

’20年に入り、1月上旬・3月中旬に大量服薬で自殺を図り救急搬送されました。

被害のあと、強い恐怖と不安の発作に襲われるようになり、その苦しみから逃れたいあまりに自分の存在ごと消したい・こんなに苦しい状況が続くなら生きていたくないと将来を悲観して考えてしまったのが動機です。

'20年4月、新型コロナの蔓延による緊急事態宣言に伴い、通っていた事業所は在宅学習に。自宅にこもりがちになったり、周囲の人と疎遠になってしまったことで、追い打ちをかけるように心身共に調子が狂ってしまいました。

しばらく訪問看護師さんのお世話になっていましたが、6月事業所が再開して久々の通所をしたときに、また強い恐怖や不安の発作に襲われ入院することになりました。

入院を機に事業所は退所して、しばらく自力で就職活動をしたり、アルバイトをしたりしていましたが、家でひとりになったとき、「被害のことをこのままにしてもいいのだろうか」という思いは消えず、'20年12月に法律事務所に二度目の相談をしました。

結果は、またうつ状態が悪化して自殺の危険があると言われ、入院でした。

しかし、その時に、どんな被害に遭ったのか詳細な資料をまとめることだけはできました。

そして、今年8月、現在はまた福祉事業所に通って就職に向けて勉強をしているので、普段は被害のことを忘れていられる時間は増えたものの、不法行為に基づく損害賠償請求権は、基本的には3年で消滅しますし、「このまま泣き寝入りして、果たして自分は人生に悔いが残らないだろうか。」と思い、法テラスの電話相談窓口に電話して、被害のこと・法的には何ができるのか、窓口の弁護士の方に教えていただきました。

その時対応して下さった女性弁護士の方が、裁判や警察に訴える際に起こるこちらの二次被害などを心配してくださり、親身になって被害について考えてくださる先生だと思えたので、依頼し、今に至ります。

長くなりましたが、このような経緯があり約2年半という時間が経ちました。

被害に遭った名古屋市にある警察署の刑事課が担当してくださることになりましたので、弁護士の方と打ち合わせしたあと、近日中に被害届を提出しに行きます。

月日も経っており、実際、どこまで警察が捜査してくれるかもわかりません。

ただ、同様の被害に遭い苦しむ方を減らしたい。加害者に、償ってほしい。
そんな思いです。


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