歯列矯正がおわりました

おわりました、いえーい
まだしばらくリテーナーをつけなきゃいけないけど、ワイヤー期間はとりあえずおわり。
1年10ヶ月、意外とあっという間だったなあ。

矯正をはじめたのは社会人1年目の夏だけど、きっかけは高校3年生の春だったように思う。
引退試合で部活の後輩に感謝の手紙を渡すシーン、ふと撮られた横顔のあまりの醜さに仰天した。
へちゃむくれ、って言葉がしっくりくる顔だった。
顎が後退し口元が突出しているその顔貌が口ゴボとかアデノイドとか呼ばれていることを知って、自分は名前のついたブスなんだとまあまあ絶望した。
以前『美しきものこそ善』にも書いたとおり当時わたしは姉にブスと呼ばれていたのだけど、なんだかその理由がはっきりしたような、ブスと呼ばれることが妥当性を得てしまったような気もして、以来自分の口元のことがいちいち気になるようになってしまった。

とはいえ高額な治療費を支払う決断をすることはすぐにはできなくて、さんざん調べて悩んで、カウンセリングに行くまでに6年かかった。
カウンセリングに行ってからもさらに5カ月考えた。
ずっと矯正したいしたいと望んではいたけど、本当にそれってこんなにお金をかけてまでやるべきなのかと、自分の心持ちしだいでしなくても生きていけるんじゃないかとさんざん悩んで、最後はもうどうとでもなれとほとんど勢いで契約した。

矯正中も、やってよかった、やるべきだったと確信を持っていたわけではなくて、この選択が正解だったのかはずっとぼんやり考えていた。
というか今の今まで、この文章の冒頭を書きながらずっと迷っていた。
でもこれを書くにあたって、昔と今の写真を見比べたり、鏡で確かめたり、自分の心の中をよく眺めたりして、ようやく結論づいた。

矯正、正解だったかも。

当たり前といえば当たり前だけど、矯正して一番よかったのは口元の造形が多少マシになったことだった。
横顔はともかく、正面から見るとそんなに歯並びが悪いわけじゃないよなあ……って思ってたけど、写真を見返してみたら普通に出っ歯すぎてびっくりした。ほんとに齧歯類。
小学生のときのプロフィール帳の「南©を動物に例えると……」の項目に「リス」ってよく書かれてたの、小動物っぽいとかじゃなくて普通に出っ歯だからだったんだなって15年越しに気付いた。みんな言わないでくれてありがとうね。
もちろん矯正したからとてそれだけで美人になれるわけはなくて、ただ歯並びの悪い人からちょっと歯並びのいい人にレベルアップしただけなんだけど、自分の顔の嫌いな部分をひとつでも減らせたのはよかった。

そしてわたしにとって、矯正をしたことでようやく「もうブスって呼ばれないで済むかも」って安堵できたことが案外とても大事だったんじゃないかなと思う。
本当は姉以外にわたしのことをブスって(言ったり思ったりする人はいても)呼ぶ人はいなくて、その姉ともほとんど縁を切っているので、もうわたしの二人称がブスになる機会はそうそう来ないんだと思う。
けど、やっぱり自分の存在がブスという言葉に置き換えられていた記憶はわたしのなかに根を張っていて、その原因は自分の口元の造形にあるという思い込みはずっと書き換えられることなく残っていたのかもしれない。
そういう呪いを自分で解けるような性格でもないから、矯正によって歯医者さんお墨付きの歯並びを得ることが、ある意味で特効薬みたいなものだったんだなって治療が終わってから気付いた。
20代も半ばになってこんなことって思ったけど、人生の早いうちにこういう作業をすることができてよかった。
削られた自尊心を120万円かけて埋めなくても済むような人生だったら、もっとよかったんだけど。

でもとにかく歯列矯正はやってよかったし、やってよかったって思えたこともよかった。
矯正中は知覚過敏で水を飲むのもつらくて、歯磨きも激痛で、からあげ噛めなくてナイフとフォークで食べて、貝ひもがワイヤーと喉に引っかかって窒息しかけて、ゴム掛け気持ち悪くて吐いて、ローンの返済ゆううつでとか、なんかいろいろあった気がするけどもうそのときの気持ちぜんぶ忘れたなあ。
大やけどでもしない限り、喉元過ぎれば熱さを忘れるのよね。

最後にせっかくなので横顔の変化を見てやってください。
美容垢がビフォアフとして出したら引リツで叩かれそうな程度には角度違うし、前述のとおり今も特別整っているわけではなくて顎下脂肪吸引とか全然したいけど、魚類から人類くらいにはなれたのではないでしょうか(てか普通にビフォーやばすぎる、フグ?)。


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