記憶が消えないうちに(過去1)

はじめまして。むらです。

自分自身が忘れないようにサービスを使わせていただきます。

書いていきたい内容は、

自分の過去

ツマの人生

子育てのメリット、デメリット

の3つを書けたら良いと思ってる。

まず初めに大まかな私のプロフィールを書こうと思う。

30歳(2020現在)、男、母子家庭育ち、1人っ子不登校経験(小2、小4〜小6、中2〜中3)、結婚済、一児の父、婿入り農家。

と言う感じ。

では、

『自分の過去』について記していく。

私は母子家庭だ。

家庭に母は2人いる。生みの親と育ての親。

そして祖父。

生みの親は私の母であり、育ての親は私の母方の祖母だ。

幼い私は父親がいない生活が当たり前であったため、父親がいる“普通の家庭”とは違う生活をしていることに気づいていなかった。

母たちは

家庭で仕事をする祖母が私の面倒を見て、母は東京の喫茶店で働いていた。

うろ覚えながらも、ただ毎日が幸せだったと思う。祖母は口うるさくも私を可愛がってくれており、母は仕事から帰ればいつも私の話を聞いてくれた。祖父もできる限り私の相手をしてくれた。

そのため、私は未だに思う。母子家庭だからと言って子どもは不幸せでは無い。子を育てる親は大変かもしれないが…

さて、そんな私の日常を壊す出来事が訪れる。

幼稚園だ。

適齢になり幼稚園に通うことになった。

ここからが私が鮮明に覚えている記憶だ。

毎朝送り迎えに来る幼稚園のバスが来る時間が嫌過ぎて、家を出たくなく、バスが来ても泣きながら必死に抵抗する。本当に地獄が毎日訪れていた。なぜ幼稚園に行きたくないか?今となってはわからないが、おそらく甘え。家が好き過ぎたのかと思う。

だが、幼稚園でも、友達はできる。友達と遊びながらどうにか幼稚園に慣れようとした。でも、幼稚園で1人になれる時間は、空からヒーローが降りてきて自分を家に連れ戻してくれないかっと言う事を常に考えていた。結局それは実現しなかった。

そして、幼稚園での地獄が私の目の前に突きつけられた。

“父の日”だ。

私の父親がいない当たり前の日常を壊しにきたのだ。

幼稚園では父の日に向けて、お父さんの似顔絵を描くことになった。今の時代はこういうことは無くなったかもしれないが…

思えば、私の“絵嫌い”はこういったところが原因ではないかな…

父の日の似顔絵を周りのみんなはスラスラと描くが私は描けなかった。

父の顔を知らないからだ。

家に祖父はいるが、祖父ではダメだと思った。“父親の顔”を描かなければと幼いながらに感じた。

しかし、やはり描けない。

そんな私の家庭事情を知る先生は気づいたのか、『お母さんの顔を描いてみて』と私に言ってくれた。

私は、母の顔でも良いのだ!っと意気揚々と母の似顔絵を描いた。

そして描き終わった時に、友達と思う1人(仮にAとしよう。彼は後にも登場する)に『むらくんがお母さんの絵を描いてる』と周りに聞こえるように言ってしまった。私は先生に助け舟を求めて視線を飛ばしたが、先生も慌てるだけで対応が取れなかったように記憶している。それ以来、私は絵を描くことが大嫌いになった。正確には本当の意味で絵を描けなくなった。

そして、私は自身の家庭環境が人と違うことに気づいてしまった。

今となっては大したことではないけれど、当時の私には大き過ぎる事件だった。


私は家に帰り、母の帰宅を待ち、そして尋ねた。

『お父さんっているの?』

『いるよ』と母は答えた。

不安そうな私の顔を見てか、母は続けて、『一緒に暮らす事になってたけど、できなくなった』と続けた。

私は父がいるという事実が嬉しくなって。また小学校2年生まで日々を生活しはじめた。


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