シェルブールの雨傘

「シェルブールの雨傘」という古いミュージカル映画がある。
あの「ラ・ラ・ランド」のベース、下敷きになっているのが「シェルブールの雨傘」らしい。

「シェルブールの雨傘」は愛し合った男女が戦争によって引き裂かれる話。

愛を誓い合う男女。
男が戦争に行ってしまった後、女は自分が妊娠していることを知る。

路頭に迷う女に「一緒に育てよう」とプロポーズする別の男が現れる。

女はそれを受け入れる。

戦争から帰ってきた男は、愛する女が別の男と結婚し自分の子を育てていることを知り愕然とする。

男は自暴自棄になりながらも、そばにいてくれた別の女と結婚し、かねてから抱いていた夢を叶える。

そんな二人が偶然再会し、お互いの「幸せ」を見届ける…

という話。

シェルブールの雨傘の女は「夫と子どもに囲まれた『幸せ』な生活」という、多くの、普通の女の「夢」を実現したんだと思う

映画の主人公たちに自分の人生を重ね合わせるのはおこがましいとは思うが、「人生ってそんなもんだよな」と考えさせられる。

というのも、私は自分の今の「天職」に出会えたのは紛れもなく、夫の影響だったからだ。

20代前半の私は大学を卒業したら、ゆるく働いて、結婚する。それが自分の理想の人生だと思ってきた。

夫は、(と言ってもまだ付き合ってる頃、結婚するずっと前)彼自身の夢と天職に出会ってしまった。

当時彼氏だった夫からその世界の話を聞いているうちに、私自身も「その世界」を目指したい、と思うようになっていく。

彼氏の話についていきたい、ちょっとでも役に立ちたい、私を見てほしい…そういう気持ちもあった。

腰掛けで仕事して結婚する、という私の夢は
いつしか「この業界」で仕事したい、という夢に変わっていた。

たくさん勉強して、結果として私は今、「その世界」で仕事をさせてもらっている。

私は向き不向きが激しく苦手なことはまるっきりだめなのだが、今の仕事は楽しくて仕方がない。

夫も夢を叶えつつあり、そういう意味では「並走する夫婦」なんだろうな、とも思う。

もしあのまま、19で付き合った、情熱的に愛した「あのひと」と結婚していれば私は私の夢にはたどり着けなかったと思う。

ごく普通の、主婦だったと思う…。

あのひとと結婚して、ごく普通の主婦になることが私にとって幸せだったか、
私の「天職」に出会えなかったことが不幸だったか…
それはわからない。

何かを失ったからこそ、でも何かを得ている。
たぶん、全てを満たすことはできないんだ。

シェルブールの雨傘 

この音楽の主題歌にも私は子どものころからちょっとした「因縁」があって、
この音楽に出会ったときには、自分のこの映画のように、大切な人を「失って」、そうすることで「夢を得る」人生になるとは思いもよらなかった。

これも縁(えにし)の不思議だったりする。

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