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『馬と鹿』―困難な恋を強い絆で乗り越える恋のうた

米津玄師の「馬と鹿」の歌詞考察です。
この歌詞を聞いて、
結ばれることが簡単ではない、けれども強い絆でそれを乗り越えようとする強い愛
を感じました。

みんながみんな、簡単に結ばれて誰からも祝福されるような恋をしているわけじゃない。
遠距離もそうだし、職業、年齢、国籍、人種…の違いで苦しむ恋もあるだろうし
友人の元恋人とか、家柄、極端に言うと既婚者とか…そういう「置かれた環境」とか「関係性」が妨げになる恋もある…
そういう難しい恋を折れそうになりがらも、
二人で生き抜こうとする決意を叫ぶ歌だと、私は思っています。

この曲はラグビーを題材にしたドラマ「ノーサイドゲーム」の主題歌であり、ラグビーワールドカップのタイアップソングでもありました。

ラグビーと絡めた解釈はいくつか拝見しましたが、ラグビーから離れて解釈してみます。

鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい


サビの終わりのこの歌詞を「未遂のキス」と解釈しています。
『僕』と『君』は一度恋人同士になった。
けれども、その恋は困難で別れを選ぶことになった。


鼻先が触れて、呼吸を止めて、以前のように二人はキスをしようとした。
けれども、唇が触れ合うことは叶わず辛い気持ちだけが残る。
それでも、この瞬間を心に刻んでおきたい。

歪んで傷だらけの春
麻酔も打たずに歩いた
体の奥底で響く
生き足りないと強く

キスをすることすらままならない、心が傷だらけになるような恋をしている青春(=春)だけど、
この心の痛みを実感したまま、前に進んでいる。
体の奥底では「君と生きたい」と思いながら。

疲れたその目で何を言う
傷跡隠して歩いた
そのくせ影をばら撒いた
気づいて欲しかった

ボロボロの心を隠しながら前へ進もうとしても
全てを隠し切ることはできない。
やっぱり君に対する僕の思いを気づいてほしくて、思わせぶりな態度をとってしまう

まだ味わうさ 噛み終えたガムの味
冷めきれないままの心で
ひとつひとつなくした果てに
ようやく残ったもの

君と僕の関係はもう終わっているけれども、
僕の気持ちはまだ熱いままで、
まだ君への想いの余韻を感じている
自分の価値観を取捨選択すれば、
やはり君への想いだけが残る。

まだ歩けるか 噛み締めた砂の味
夜露で濡れた芝生の上
はやる胸に 尋ねる言葉
終わるにはまだ早いだろう

(一緒にいることが許されない)
地を這うような悔しさに
涙した夜も何度もあった
やっぱり諦めることができず
先走る気持ちで君に言う
「僕たちがともに生きることを諦めるのはまだ早い」

何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を
晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに

僕らの関係は単なる恋愛とも友情とも違う。
お互いに傷だらけになりながら一緒に歩いてきた。
だから希望をつないでいこう。
まだ道半ばだけど。

これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 花の名前をただ一つだけ
張り裂けるぐらいに

君へのこの感情は『愛』に他ならない。
そんな当たり前のことに気がついた
たった一人の愛しい君の名前を
衝き上げるような感情のままに叫ぶ。

誰も悲しまぬように微笑むことができなかった
一つ ただ一つでいい 守れるだけで
それでよかったのに
あまりにくだらない 願いが消えない
誰にも奪えない魂

誰かを悲しませないようためにあなたと別れて、
他人の都合のいいように振る舞うことなんてできなかった。
「君と生きていきたい」という僕の願いを
『くだらない』と人はいうだろう。
でも、僕の君への思いは誰にも消すことはできはしない。

簡単に一緒にはいられない二人…
人にどう言われようと、強い絆で結ばれているから
その絆を信じて一緒に生きよう。

恋愛に限らず、
『険しい道のりであっても、信じた道を進んでいきたい。』
と願う人を勇気づけてくれるような歌詞だと思っています。

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