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いまの娘のようす

ここまでは、これまでの経緯を振り返ってきていたが、現在の娘の様子について少し触れてみたいと思う。

いまの娘は、とにかく生きづらそうだ。
何をやるにもがんじがらめのルールに縛られ、手も顔も髪も身体も、洗いすぎてボロボロだ。
なんなら洋服だって、洗いすぎてボロボロだ。

代われることなら代わりたい。
でも何一つとして私に代われることはなく、常に無力さを感じる。

試しにお風呂場を私の持ち得る全ての力を発揮して洗ってみたが、娘の手によってやり直される結果に。それが逆に汚すことになっていたとしても、そこに正解などない。全ての正解は娘の頭の中にしか存在しないのだ。

始業式以来行けていない学校に、今日こそはと徹夜で準備をしていたみたいだけれど、1度で上手くいかず、2度お風呂に入ったところで力尽きた。

お風呂に入るという工程が、娘にとっては途方ない道のりだ。

お風呂に入る前はまず手を洗うところからスタートすることは知っていたのだが、準備をしている間は近くには居ないで欲しいと言われるので最近はちゃんと見ておらず、気づけばその前に脱力するとか、洗う時の水の角度など、細かいルールが無数に増えていた。

その後、髪をブラッシングし、きっとその他にも無限とと思える儀式(側から見ていると、そんな気概すら感じる)をこなし、やっと風呂場に向かえる。

風呂に着くと、今度は洗う工程があり、今日は髪の予洗いまでで力尽きたようで、シャンプーまでは行きつかなかったようだ。

上手くいかなかった場合は、その段階で一度あがって髪を乾かし、また手の脱力から始まる。

それを2回もやっていれば、それはそれは疲れるだろう。

もちろん、その前には風呂場を洗うだとか、ブラッシング用のブラシの清掃だとか、様々な前工程をやった上でのことだ。

結局今日は上手く入れず、せっかく数日かがりで洗濯をしたり爪を切ったり眉を整えたりしたことも、全てが無かったことに。

その無力感も、娘にとっては新たなプレッシャーとなる。

こんな病気、治る日が来るのだろうかと、気が遠のく気持ちになる。
でもきっと、私の100倍くらい、娘の方がそう思っているのだろうなと思うと、ただ寄り添うことしか私にできることはない。

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