Xデザイン学校 アドバンスコース #6

10月16日(日)に実施されたアドバンスコースについてのふりかえり。当日は出席ができなかったため、後日録画を視聴。時間が過ぎるのは早いものでもう折り返し。

講義テーマ 「ビジョン、アートとデザイン」

ヨーゼフ・ボイス

アート思考については多少勉強していたこともあるので、先生の話をごくごくと飲み込むことができた。話題提供のなかで印象的だったのはヨーゼフ・ボイス。数年前には日本でもドキュメンタリーも公開されているドイツの現代美術家・彫刻家・教育者・音楽家・社会活動家だ。

彼は「アートとはなにか」ということを考えるうえでヒントとなる言葉をたくさん残した。「芸術とは絶対的な自由と自己決定だ」、「すべての人間は根本的には芸術家なのです」、「「社会彫刻」人間が未来の世界を創造的に造形していく」、など。

彼の発想や世界の捉え方、まなざしはずっと子どもの頃と変わらぬものだったんだと思う。子どもが子どものままでいられたら、アート思考かどうとか、創造性がどうとかという議論は決して生まれないのかもしれない(みんな創造性をもっているし、アーティストだから)。しかし、誰も大人にならず子どもしかいない世界があったとしたら、それはそれで良いのかもわからない。そこには秩序もルールもなく、カオスかもしれない。ジョン・レノンが『イマジン』で夢見た世界かもしれない。それはわからない。

何が言いたいのかというと、子どもというのはときに盲目的になるし、残虐にもなる。子どもなる自分も大人なる自分も自分のなかに同居させる(アンビバレントでありつづける)、さらにそれをメタ認知的に捉えるのは非常に大変だ。

ボイスのことをもっと知りたいという思いから、ネットの海に沈んでみると、気になる記事を見つけた。

ほーほーほー。少し意外な事実も散見された(詳しくは記事を参照)。彼の残した作品は今も変わらぬメッセージを私たちに伝える。それは紛れもない事実だ。しかし、そのコンテクストも一緒に考えてメッセージを受け取ることを肝に銘じたい。今を生きる私たちは、彼を語るときに背後にあるものにも目を向けなければならない(人類学におけるマリノフスキを語るのに似ている気がする)。

彼の作品は間違いなく独立した価値があると思います。インスタレーションも、その中のいくつかは本当に素晴らしい。これらは全て変わらぬ価値を持ち続けるでしょう。でも、彼のアートは社会的な文脈の中に置いて理解すべきです。でもそれらは未だに間違った文脈の中にあり、それを読み取ることも理解することもできない。それが問題なのです。ボイスという人間の真の姿、政治思想家としてのボイス、そして作品の背景を受け入れない限り、彼の芸術について真剣に語ることはできないのです。

戦後を代表するドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイス 偽りだらけの過去

最近まで都内で展示会を行なっていたゲルハルト・リヒターもボイスから教えを受けていたようだ。最近、芸術家の会田誠さんがリヒターについて言及しているtweetがあったが、ボイスを知ることはそこで議論されていることをわかっていくのに必要なピースなのかもしれない。

今日の選曲

衝動的ですぐ終わる可能性があるが、インプットしたものに自分として関連がありそうな曲を紹介する。

音楽でリフレーミングをおこなったジョン・ケージ。楽譜を自分でデザインすることで、誰でも体験できるものを残している。また、日常にある音をよく観察しているからこそ、心地よいリズムを見つけられたのだろう。

そして、尊敬する子どもおとなのジョン。

最後は脱線して、ジョンと楽しそうにデュエットする2022年のサー。

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