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〜1人暮らし〜

19歳。ある日突然、父親から
『おい、アパート決めてきたから出て行け。』
と一言。

『は?』
そりゃそうだ。突然過ぎる。

『これ以上、お前を息子として置いておけん。
自分の力だけで生きていけ。100年でも帰って来んな。』
(※まだ未成年だったので、父親名義の契約)

『あ、そ。』

大して言葉も交わさず、
荷造りを始める。嬉しかった。

ようやくこのクソみてぇな家を出て行ける!
家具・家電なんか後で考えりゃいい!
そんな事しか考えていなかった。

アパートの住所が殴り書きされた紙切れ一枚とカギを渡され、荷造りした僕の方を見て、
『おい、何をしている。その布団も、ラジカセも、それもこれも全て俺の金で買った物だ。テメェの金で買った物だけ持って出て行け。泥棒かテメェこの野郎。』
親子の会話とは思えないが、言っている事の筋は通っている。

物の言い方が気に入らなかったらので、父親の顔面に1発入れてやった。
頭割られたこちらとしては、手ぬるい位だった。
スカスカのボストンバッグ一つで飛び出した。

渡された住所でだいたいの場所は分かった。
何せ、そんなに広くもない街だし、
どの地名もダチが居て網羅していた。
外観は青一色で"サンハウス"と、なんともダサいネーミングのアパートだった。
間取りはワンルーム。
風呂トイレ別はありがたかった。
キッチンは粗悪な物だったが、そもそもガステーブルも持っていない。
家賃は水道代込みの26,000円と、
今思えば、色んな意味でとんでもない物件だったな。

初めての1人暮らしとなれば、
誰もが心躍る瞬間だろうが、
全くそんな気持ちにもならなかった。

"さて、明日からどう食って行くか。"

部屋に入ってみても当然、現代の様な
レオ○レスみたいに【家具・家電付き】ではない訳で。
冷蔵庫は愚か、洗濯機・炊飯器・ガステーブル・テレビ・布団すら無いのだ。
今思えば、父親は世の中の厳しさを
身をもって体験させるつもりだったのかも知れない。
ただ、この時の僕はそうは捉える訳も無く。

時は北海道の10月、既に最低気温は1桁代。
さぁ、極貧生活の開幕です。


★ご覧いただきありがとうございます😊
19歳、今から20年前。
ここから、僕の飲食業へのキッカケが生まれます。
今後ともお付き合いいただけますと幸いです。

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