その後①。

これがあの日からの1週間になります。
本当はもっといろいろあったんだけど、うる覚えだから、間違っていたらダメだから書きませんでした。

あと、中央のメディアは好き勝手だなぁ~って、けっこう思ったことは覚えています。いきなり現地を訪れてしたり顔で話したり、ヘルメットをしたアナウンサーが、ヘルメットをしていない現地の人にインタビューしたり。

私が暮らすのは内陸なのに変なことがたくさんありました。
お昼のスーパーでスーツを着たオヤジが、こどもを連れたお母さんを食料のことで怒鳴っていたり、今日はガソリンを20ℓいれたと自慢するオヤジがいたり。だいたい冷静さを失っているのはオヤジが多かった気がします。

ガソリン問題は大変でした。給油できても「1台10ℓ」などの制約がありました。

知り合いは、ガソリンが半分以下だったのに、親戚が暮らす沿岸に行きました。途中、ガソリンがなくなった車を降り3時間歩いたそうです。沿岸から約100㎞歩き内陸に食料を買いに来た人もいました。

テレビ局などはガソリンスタンドと契約しており、非常時に優先的に給油されます。でも、テレビからはどこの局も同じ内容が流れます。ガソリンスタンドにはほとんど毎日、並びにくる暇なオヤジもいたそうです。結局、本当に必要な人には行きわたりませんでした。

友人は、沿岸の実家に一刻も早く行きたいがために、イチかバチかで隣県にガソリンを入れに行きました。日本海側の県に。その県も「1台10ℓ」などの制約があったみたいですが、スタンドのお兄さんが満タンにしてくれ、さらに携行缶いっぱいのガソリンを渡してくれたそうです。

そしたら、給油待ちの車から降りてきたオヤジがいちゃんもんをつけたそうです。そのお兄さんは一喝し黙らせました。さらにそのお兄さんはたくさんの飲み物をくれたそうです。

友人が泣きながら話してくれました。
非常時の助け合いって意外と若い人が多い気がします。

私の暮らすまちから山を一つ、二つ超えると海に出ます。その地域は非日常で、酷く、悲しい出来事が起こっているのに、山々に囲まれた私の暮らす地域は日常。日常と非日常の境目が山のような感じがしていました。

津波の映像は電気が通った日以来、見てません。もう見たくないです。



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