貴方は芸術を識別する目を持っているか


ガロの時代Takumi Abe チャンネル

https://www.youtube.com/watch?v=5c7LmWl3P2c


日本の漫画は人類文化発展の一角を占め世界的に検討評価されるべき要素をもっています。
このような文化は世界を見てもないでしょう。


その意義を生み出したのがつげ義春と手塚治虫ということになります。
しかも60年代に確立した芸術的運動なのです。
それは欧州のバウハウス運動に匹敵する運動のはずですが、日本でもその価値を見定めてはいませんし、世界ならなおさら未だそれを評価できる水準に到達していません。  

この動画も日本のうら悲しい貧しさが生んだ私小説的な矮小奇形な大衆文化、ぐらいにしか捉えていないようです。

しかし、つげ義春の漫画は、漫画の域を超えて芸術の域に到達している別次元の漫画にしました。

つげ義春の漫画の筆致はシュールリアリズムと虚無思想を元にしつつも、漫画描写が詩のように語りかけ、人間的価値の形象化をシッカリ描いて芸術化に成功した意義を持つものです。
戦後日本資本主義が米国占領体制により目覚ましく進捗して、大規模工場化が起こり自然汚染や公害などを残すなかで、人々が民主主義という新しい生き方を模索しつつ、現実の社会の最下層の貧困と性の実際が混ざり合う、漫画ドラマといったところでしょうか。

日本漫画界がここをしっかり評価できていれば、日本漫画の可能性が拓けたのでしょうが、この動画のようにその芸術価値を、また漫画の価値を、さらに世界にある新聞紙面を飾る「面白漫画」とは別次元の、大人の漫画としての価値を測れないでいたのです。

また今でも本当の価値を測れないでいるのです。

漫画評論家なども世間一般が「漫画ごとき」と決めつける潜在意識を持ったままですから、よもや漫画が芸術だなどとは言えなかったのでしょう。

漫画を見る力がある皆さんが、ぜひもう一度つげ義春の世界を確認して見てください。

(現代の漫画界は量的にはスゴイ発展をしましたが、その内容は現代資本主義が教育とマスメディア(新聞TV週刊誌学術書など全体)を使っい国民洗脳が行き渡り、米国追従の日本資本主義を許容する思想が刷り込まれたままで、70年代以降の漫画家たちや愛好家オタクには、その語るべき内容を別次元に広げる前衛的改革者は生まれていないように見えます。
《自主出版漫画雑誌も大量すぎて全部を見ることは不可能になった》まして現代の漫画世代に「人間的価値の形象化」などと言っても、もはや理解できないでしょう。)


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