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武器の美についての雑感

銃や刀がなぜカッコいいのか?

仮説1
カッコよくないと戦場での士気が高まらないから?
たとえば銃がバナナそっくりだったら。お茄子そっくりだったら。戦場で兵士達がお茄子持って殺し合えるだろうか。となると、武器の設計段階で、兵士達が心地よく人を殺せるように造形美を利用しているのではないか。

仮説2
人をいかに効率よく殺せるかを極めていくと、その造形に人間は自ずと美を見出だしてしまうのではないか。
人殺しの機能を突き詰めていったとき、その造形がお茄子みたいになるなんて事はそもそも起こりようがなく、刀にしろ剣にしろ機関銃にしろ、機能を追求すればするほど「カッコいい」と感じるように生物的に仕組まれているのではないか。

仮説3
単純に人を殺せるから美しいのではないか。
たとえばこう考えてみたらどうだろう。この世にまだ銃が存在しない時代に、水をビュウビュウ発射するおもちゃを生涯かけて作り続けた一人の天才が、機能を追究した結果、現代の銃器と同じような造形に辿り着いたとする。果たして子供たちはそれを「カッコいい」と思うだろうか?つまり刀や銃はその造形がカッコいいのではなく、そのパワーがカッコいいのだ。

もちろん武器を「カッコいい」とは一つも思わない人間も少なくない。もし武器を「カッコいい」とする感性から大多数の人間が解放されたら、戦争はなくなるだろうか?

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