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コロナ禍の「生活保護バッシング」に、私たちはどう備えるべきか。

コロナ禍で生活に困窮する人々についての報道が増えると同時に、生活保護をはじめとする社会保障制度についてのニュースも近頃頻繁に目にするようになった印象がある。

捕捉率が2割前後とも試算される日本の生活保護の現状を念頭におけば、こうした報道が増えること自体は(制度の認知向上にも一定程度寄与しうるという意味で)歓迎すべきことだろう。

他方で、生活保護への関心が高まることは、その反動として「生活保護バッシング」が起こることも懸念される。

繰り返される「生活保護バッシング」

筆者は先日、「生活保護問題対策全国会議」が主催するオンラインイベント「なぜ生活保護利用をためらうのか~“バッシング”によって作られた“国民感情”~」に参加した。

その際、とても印象的だったのが、30年近くに渡って貧困の報道に尽力されてきた水島宏明さんの報告だ。水島さんはとりわけ2012年に激しく行なわれた「生活保護バッシング」報道を整理したうえで、その特徴について解説してくださった。

そのうえで問題提起の一つとして、次のような指摘をされた。(以下は筆者による要約)

「これまで生活保護をめぐる報道は、法的には違法性がないケースであっても、また全体としてはごく少数にすぎない『不正受給』を過度に強調することで、生活保護利用者への社会的なバッシングを煽ってきた。時に水際作戦などを行う福祉事務所の問題も報道されるが、こうして生活保護に注目が集まると、必ずといっていいほど生活保護そのものに対するバッシング報道も反動のように繰り返し行われる傾向にある。」

水島さんの指摘を踏まえれば、改めて冒頭で示した懸念が頭をよぎる。すなわち、現在は生活保護の制度について好意的な報道も目にするが、世間の関心が生活保護に向くなかで、再び「生活保護バッシング」が生じ、またそれを煽るような報道が再燃しないとも限らないということだ。

現に、居眠り運転による死亡事故を伝える11月10日の報道では、事故を起こした男性が生活保護の利用者であることが再三強調されている。

SNSによるファクトチェックの可能性

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他方で、近年はSNSの普及にともない、誤った情報や偏見を煽るような報道に対し市民がファクトチェックを行うことも珍しくない。また、そうした市民による「反論」が拡散されることで報道側も報道内容を訂正するというケースもみられるようになった。

この点について、筆者は水島さんに以下の質問をさせていただいた。

永井:近年は報道側も「視聴者からの反論の可能性」を想定しながら番組づくりをする必要が出てきつつあるのではと想像するのですが、SNSが貧困報道に与える(与えつつある)影響として何か水島さんが感じてらっしゃることはあるでしょうか。
また、貧困問題の是正を目指す立場が悪質な報道に対してSNSなどを通じてできること(SNS社会の展望)、あるいは気を付けるべきこととしてお考えがあればご教示いただけると有難いです。


これに対し、水島さんからは次のようにお答えいただいた。(筆者による要約)

水島さん:既存メディアはSNSを恐れるが故に、「両論併記」にしてしまう傾向がある。例えば、福祉事務所の対応を問題視する記者やディレクターがいたとしても、批判的な視点だけで終わると必ず視聴者からの批判がくる。そういうなかで、こうした問題を取り上げること自体がやりづらくなっている。
メディアの意識を変える必要もあるし、市民の側のファクトチェックもどんどんやっていかないといけないが、まだ弱いと感じる。もっとそういう問題意識のある人が発信していかないと改善されない。現状としては、右派のほうが戦略的かつ組織的に「うまく」SNSを活用しているように感じる。

SNS社会で「理性的な議論」は分が悪い?

こうした議論の中で、最近のSNS論争の傾向として、論理的に「ファクトをぶつけ合う」のではなく、より「感情に訴える」「不安や怒りを煽る」ような投稿が市民権を得るという指摘もされた。

たしかに、ネット上でのヘイトスピーチやあるカテゴリーの人たちに対する憎悪を煽る投稿は、その情報自体の正確さを指摘する投稿よりもはるかに高い拡散力を有するように感じられる。理論的な意見よりも感覚的・感情的な意見のほうが、受け手も情報処理にかかるコストが低いために拡散へのハードルが低いのだろう。

それでは貧困の是正や生活保護などへのスティグマ解消を目指すリベラル陣営は、「感覚に訴える」戦略を採用すべきなのだろうか。

筆者は、SNS論争上ではいくら「分が悪い」とはいえ、貧困や生活保護をめぐる議論においては、地道に「理性的・論理的な指摘」を続けていくしかないと考えている。

なぜなら、貧困問題とは政治性と不可分であり、民主国家における政治的な議論は、その妥当性について客観的な検証ができるものとして展開しなければ建設的なものにはなりえないと考えるからだ。

憎悪を煽る投稿に対して、感情論をもって対抗するというのでは、そのどちらに妥当性があるのかを客観的に判断することができなくなってしまう。なぜなら、そもそも「感情」は「個人のもの」であって、それ自体の是非を問えるような対象ではないからだ。

憎悪や怒りなどの感情に、感情的に対抗しようとするのでは分断しか生まない。「相手が攻撃的な手段を用いているのだから、こちらも攻撃性を持つのは仕方がない」というのは、リベラルのやることではない。

来る「生活保護バッシング」に対しては、どれだけ時間がかかろうと、きちんとソースを提示する「理性的な対話」によって応答したい。

「生活保護バッシング」に個人でできる対抗策は?

それでは、「理性的な対話」を積み重ねるために私たち一人ひとりにできることは何だろうか。

これまでの生活保護への攻撃的な報道やネットでの悪質な投稿をみていると、そこには一定のパターンがあることに気づかされる。

それは例えば、「生活保護は不正受給が多い」「働けるはずの人が生活保護で悠々自適な生活を送っている」「保護費をギャンブルで使い切る人が多い」・・・などだ。

そこで、こうした報道や投稿を見つけた人は、できる範囲で不正受給が全体に占める割合や制度利用者の内訳に関するデータなどをリプライで示すという「ミクロの運動」を試みてほしい。

その際、日本弁護士連合会が作成しているリーフレット「今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?~生活保護のことをきちんと知って、正しく使おう~」が役に立つ。

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無論、上述したようなバッシング投稿を行う人のなかには、事実が何であれ攻撃することを目的としている人もいるように思われるので、正しい情報を伝えることが必ずしも抑止に繋がるわけではないかもしれない。

しかし、こうした投稿がきちんとしたソースもなしに拡散し多くの人の目に触れてしまうことは、「生活保護に対する知識があまりない人たちが新たな偏見を持つようになってしまう」「制度を利用することに引け目を感じてしまう」というリスクがある。

また、ネット上の憎悪に満ちたコメントを目にすることで、現在生活保護を利用している人が体調を崩してしまうというケースも少なくない。

こうしたリスクを念頭におけば、悪質な投稿に対してきちんとしたデータをもって理性的に反論を積み上げていくことの意味は決して小さくないだろう。不正確な情報を鵜呑みにしてしまう人を減らせる可能性はあるし、現在生活にお困りの方が「自分の立場を理解してくれる人もいる」と感じてくれるかもしれない。

きたる「生活保護バッシング」への対抗として、私たち一人ひとりにできることは決して少なくないはずだ。









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