見出し画像

「困ったことのない人」に相談者の気持ちは分からない?

「生活に困った切実な経験のない人間に、当事者の気持ちは分かるのか」

これは、困窮者に対する相談支援を生業にしている(あるいはこれから生業にしたいと考える)人が一度は自問することではないだろうか。

近年、当事者同士が自身の経験を語り、苦しみを共有する「ピアサポート」という考え方や、生活苦を経験した当事者が支援者として情報発信する傾向が広がりつつある。

そういう潮流のなかでは、「困窮当事者(経験者)でなければ当事者の気持ちは分からない」といった意見が市民権を得るのも不思議なことではない。

確かに同じような経験をした人だからこそできる声かけやサポートはあるだろう。

他方で、そういった困窮の経験といった当事者性は、生業として相談業務を行ううえでは「不利」に働くこともあるのであり、逆に「困窮した経験」がない人にこそある「強み」についても認識されて良いように思う。

そこで今回は、当事者と同じような経験のある(あるいは無い)ことのメリット(強み)とデメリット(弱み)について考えたい。

画像1

相談業務における「元当事者」の強みと弱み

まず、「元当事者」の強みについて。

これは言うまでもなく、同じような境遇を経験している人であれば、とりわけ初回面談の段階から相談者とラポール(信頼)を築きやすいというのが挙げられるだろう。

相談に訪れる当事者のなかには、「専門的な教育機関を経なければ取得できない資格を持っている(=それなりに高学歴)である人はお金に困った経験などないだろう」といった考えから、初期面談の段階から「自分の苦しみなど分かるわけない」といった不信感をあらわにする人も少なくない。

実際、専門職として相談業務にあたっている人が相対的に学歴が高い(あるいはそれなりに社会的資本に恵まれてきた)というのは事実だと思う。

そういったバイアスがかかりやすい環境下において、相談を受ける側が「実は私も…」という切り口で話ができることは大きなアドバンテージとなる。

他方で、そういった当事者性を有するが故の難しさもある。

その一つは、クライエントの話を聞くことで過去の自身の経験が鮮明に蘇ってしまい、フラッシュバックを起こしてしまうリスクが挙げられる。

人は耐えがたい経験をすると、PTSDに苦しむことがある。それでも周りの様々なサポートや一定の時間が経過されるなかで、徐々に日常生活に支障がないまでに回復する人も多い。

しかし、どれだけ過去に折り合いをつけることができたと感じている場合でも、同様の状況や話を聞くことで「しんどさ」がぶり返してしまうということも往々にしてある。

また、自身と似た経験をしている相談者に対してワーカー側の「思い」が強まりすぎてしまうことで冷静さを欠いてしまう、ありていに言えば「距離感を間違えてしまう」リスクも相対的に高まってしまうように思う。

相談支援の現場では、ワーカーは相談者の気持ちに寄り添い「痛み」を共有するのと同時に、支援出来ることとそうでないことを見極めて選択肢を提示するドライさも求められる。

支援者が相談者との「距離感」が大切だとされる所以の一つがここにある。

福祉業界には、過去の辛い経験から、「自分と同じような経験をする人を一人でも減らしたい」「回復に向けたサポートをしたい」という想いから様々な社会的サバイバーが支援者として参入される傾向があるように感じる。

私はこういった方々を、心から尊敬している。

自身の「傷」を癒すこと、回復を目指すということ自体がまず、大変な大仕事であるのに、加えてリスクも伴う他者への支援を志すというのは並大抵のことではないと思う。

また、元当事者としての発信が支援業界にもたらすポジティブな側面についてはどれだけ強調してもし過ぎるということはないだろう。

しかし、繰り返しになるが過去に心的な「傷」を持つ人が相談業務にあたることは、「傷」自体がフラッシュバックや「適切な距離感」を保つことを難しくする要素にもなりうるというのもまた事実であり、これは元当事者としての職員が健康的に働くうえで、周りの職員も留意しつつフォローするべき点だと感じる。

相談業務における「困窮経験がない」ことの強みと弱み

その意味では、そういったリスクが相対的に低い「困窮した経験がない人」が現場に入ることの強みも確かにある、と言えるだろう。

バックラッシュの不安が相対的に少ないワーカーは、踏み込んだ質問を(自分にとっての不安としては比較的ストレスフリーに)行ないやすい。

また、社会的資本に恵まれてきたが故に、当事者自身が現在は認識していない潜在的なニーズに気づきやすいということもあるように感じる。

一方、「困窮経験がない人」は、何気なく使っている言葉が無意識のうちに相談者を傷つけている可能性について、とりわけ注意をはらう必要がある。ただでさえ相談者から「あなたに私の気持ちが分かるはずがない」という不信感を向けられがちな「困窮経験がないワーカー」は、一層相談者の「声」を注意深く聞くという姿勢を見せなければ、相談者から信頼してもらうことは難しい。

それぞれの強みを活かし、弱みを補い合う

画像2

ここまで「元当事者のワーカー」と「困窮経験のないワーカー」それぞれの強みとリスクを述べてきたが、実のところそれぞれのリスクはどちらにも存在する。

元当事者のリスクとして挙げたフラッシュバックと距離感の問題は、何も元当事者だけに当てはまるものではない。

「自分は過去に心的な『傷』はない」と思っているワーカーが、ある相談者からの話を聞くなかで無意識のうちに自身の奥底にためていた負の感情とリンクしてしまい、面談中に涙が止まらなくなってしまったという人がいた。

またある人は、相談者の状況とワーカーの知人の経験が似ていたことから「当時の知人のSOSを受け取れなかった」と自身を責め、精神的に辛くなり相談業務を続けられなくなってしまった。

困窮経験がなければ相談者との線引きを間違えないかといえば、そんなこともない。

当事者に過剰な期待をかけてしまったり、「なんとかしたい」という気持ちが強すぎて制度上の根拠などを確認する前にできないことをできると言って相手を失望させてしまう…

こうした失敗は社会資本に恵まれてきた「元気な」ワーカーにもよく見られることだろう。

同様に、当事者から不信感を持たれるリスクは「元当事者」なら回避できるのかというと全くそんなことはない。

ワーカー側の「自分は経験しているからよく理解できる」という態度が、かえって相談者の不信感を招くということも珍しいことではない。

当たり前のことだが、相談者の苦しみは相談者のものであり、本人と全く同じ苦しみを他人が経験することは不可能である。

ここに、当事者一人ひとりを「個人」として尊重するというソーシャルワークの根幹がある。

わたしとあなたは同じではない。だからこそ、わたしとあなたは、それぞれに尊い。

つまるところ、相談業務のイロハのイは「相談者の話をきちんと聞く」ということは簡単なことではないと自覚したうえで、それでもなお「相談者を他者の経験に還元できない個人として理解し尊重する」ことを諦めないことではないか。

そこに、ワーカーが「元当事者」であるかどうかなどは大した問題ではないのかもしれない。

それでもやはり、「元当事者」が元当事者として、「困窮経験のない人」が(困窮)未経験者として共に相談業務にあたることには大きな意味がある。

例えば、以前私の職場では、ある特定の精神疾患を持つ当事者の相談には乗れない「当事者性を有した相談員」がいた。

本人は相談員でありながら相談業務を行えないケースがあること、その分他の相談員の負担が大きくなってしまうことを思い悩んでいた。しかし、他の職員にとって、彼は「特定の精神疾患についての貴重なアドバイザー」だった。なぜなら、「元当事者」としての彼に症状が出ている時に避けた方が良い表現や逆に言ってほしい声かけなどについて、まさに本人の経験から助言をもらうことができるからである。

困窮経験や心的な傷のない職員は、比較的オールラウンドに相談業務を担当することで、元当事者としての職員が担えないケースをカバーする。一方、元当事者職員は困窮経験のない職員に特定ケースについてアドバイスを行う。また、相談者との「距離感」についてもそれぞれの職員が個々の職員の特性を理解したうえでアドバイスし合い、気を付け合うことでチームとして「相談者を他者の経験に還元できない個人として理解し尊重する」ことを目指す。

こういった相互の強みを生かし合い、弱みを理解し補い合うことで、より強く風通しの良い相談援助チームがつくられていくのだと思う。良いチームの事務所には、良い風が吹く。こうしたチームビルディングは、相談援助業務の醍醐味の一つである。

当事者性の有無に悩む将来のワーカーへ

現在、あるいはこれからソーシャルワーカーとして働きたいと思いつつも、「困窮経験のない自分に相談業務が務まるのだろうか」「過去に心的傷をもつ自分が現場に入って大丈夫だろうか」と不安に思っている方も少なくないのではないだろうか。

そういった不安はとてもよく分かるし、安易な気持ちでないからこそ出てくる悩みだろうと思う。

ただ、私が改めて述べておきたいことは、「あなたが過去に心的な傷がないこと、あるいは耐え難い経験の一つひとつは、それ自体が『強み』になりうる」ということだ。

ソーシャルワークは、一人ひとりの、一つひとつの経験が、そのまま業務上の強みやキャリアになりうる稀有な職業の一つだと感じる。

お互いの経験や価値観を尊重し合い、相互に高めあえるチームで相談業務にあたるということを一度でも経験してしまうと、この仕事はなかなかやめられなくなってしまう。






よろしければサポートをお願い致します。いただいたサポートは、執筆にあたっての文献費用やオンラインなどでの相談活動費にあてさせていただいております。