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ある若者ホームレスが教えてくれたこと:「あの晩のパンの味が忘れられなくて」

みなさんは、「夜回り」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

ホームレス支援業界では日常用語と言ってもよいほど浸透しているが、一般的には何のことか分かりにくい言葉かもしれない。

ホームレス支援における「夜回り」というのは、夜の路上を歩き回り、ホームレスの方に直接お会いして食べ物などの支援物資をお渡ししたり、相談に乗ったりするアウトリーチ活動のことを指す。

筆者は2017年の3月から2020年の6月まで、月に一度、東京の路上で「夜回り」を行っていた。

お渡しするものは企業や市民の方から寄付でいただいた食品と、ビッグイシュー基金が発行する『路上脱出・生活SOSガイド 東京23区編』だ。

路上生活の方がその日食べられるものに加え、路上生活から脱したいと思った時に役に立つ支援情報をお渡ししていく。

筆者は、この夜回りで出会ったある若者ホームレスの方とのやりとりから、自分のそれまでの支援姿勢を見直す経験をしたことがある。今回はその時の経験について紹介したい。

“夜回り”の注意点

まず、夜回りという活動の特徴を整理する意味でも、その注意点を整理しておきたい。

「おじゃまする」という立場を忘れない

夜回りでは、「支援する」という名目上、あたかも「こちらの支援を『待っている』人に会いに行く」という勘違いをしてしまいがちだ。

しかし、路上生活の方にとって、ダンボールハウスは「自宅」であり、そこでの生活は日常である。

また、夜ということもあって就寝されていることも少なくない。そういった点を考えれば、いきなり上から「こんばんは!!」と元気な声で話しかけられたらびっくりするし、パーソナルスペースをおかされるという不快感すら感じるだろう。

自分が家で寝てる時にチャイムも鳴らさずに土足で上がり込まれ、「食べ物を持ってきました」と言われたらどうだろう。

路上で横になっている方に対しては、こちらもしゃがみこんだうえで、できるだけ驚かせてしまわないくらいの声で「おやすみのところすみません」と話しかけるのが最低限の礼儀だろう。

支援を焦らない

凍てつく冬の路上で寝ている人を目の当たりにすると、その不条理さに対する怒りや、自分自身もその社会の作り手である事実に居心地の悪さを強く感じる。

「なんとか福祉に繋がってほしい」

毎回のことながらそう強く思う。

一方で、路上生活の方にはそれぞれの事情と考えがある。当初は「生活保護のことを知らないのでは?」と思っていたが、話を聞いてみると生活保護のことを全く知らない、一度も福祉事務所に相談に行ったことがないという人はむしろ少数であることが分かる。

どの方もタイミングや頻度に違いはあれど、これまでに生活保護の利用を検討したり、実際に利用したことがあるという人がほとんどだった。それでも、福祉事務所で「働けるのに働いていないのだろう」と失礼な対応をされたり、親族に連絡が行く(扶養紹介)ことをおそれて「自分はもう生活保護の相談には行きたくない」と感じてしまう人も少なくないのだ。

なかには路上で「ホームレス支援」を謳う団体に「生活保護を申請してアパートに入らないか」と声をかけられてついていくと、劣悪な施設に軟禁されて生活保護費を搾取されるというケースすらある。路上で生きるということは、雨露をしのげないだけでなく、弱者を食い物にする者からの標的になりやすいというリスクも負うのである。

これまで何度も路上生活からの脱却を試み、その度に様々な人から裏切られた経験のある当事者からすれば、いきなり夜に現れた人間から「困っていることはないですか」と聞かれてもまず警戒するのは当然だろう。

私たちにできることは、初回からぐいぐい支援しようとするのではなく、困った時に役に立つ「情報」をお渡しすることで、本人の気持ちが動いた時に頼れるネットワークを用意しておくことである。何度も足を運ぶなかで少しずつ信頼してもらえるようになれば、話をしてみようかという気にもなってくれるかもしれない。

夜回りの「成果が見えない」しんどさ

こういった心づもりができてきてもなお、夜回りという活動の成果の見えづらさにしんどくなることも少なくなかった。

例えば、いつものルートで寝ていた方と出会えなくなってしまった時、こちらはその方が福祉に繋がったのか、あるいは襲撃や排除などにあってその場にいられなくなってしまったのかを確かめる術がない。

通常の相談業務と異なり、「何らかの成果」を確認することがほとんどできないのだ。

会えなくなってしまった人は、今どこで何をしているのだろう。

そういった悶々とした思いを毎回のように感じていた。

若い男性ホームレスとの出会い

そんなある日、いつものように夜回りをしていると、公園のベンチに座り込む若い男性に出会った。

聞けば、まだ20代だという隆史さん(仮名)。「仕事を求めて数日前から歩いて東京を目指し、今日着きました。お金は底をついてしまったのでとりあえず今晩は野宿しようと思っています」という。

そこで、支援物資のパンの詰め合わせと「路上脱出・生活SOSガイド」をお渡ししたうえで、ダメ元で生活保護の利用についても伺ってみた。

筆者「仕事を求めて東京に来られたということですが、何かあてはあるんですか?」
隆史さん「いやー、、特にあてがあるわけじゃないんですが。地方にいてもどうにもならないと思って。。」
筆者「では仕事が見つかるまでは野宿されるつもりですかね?」
隆史さん「まあ、そうなるかなと思うんですけど、できるかな。。」
筆者「もし不安なようであれば、仕事が見つかるまでの間だけでも生活保護を申請してみるのはいかがですか?」
隆史さん「生活保護は名前は聞いたこおはあるんですけど、僕みたいに若くても受けれるんですか?

隆史さんが生活保護に興味を持ってくれたと感じた筆者は、生活保護は要件を満たせば年齢に関わらず利用できることや申請の際に留意すべき点、某区の福祉事務所の場所を「路上脱出・生活SOSガイド」をもとに紹介した。

隆史さん「ありがとうございます。一晩考えてみます。」

そして筆者は「また困ることがあればいつでも連絡してください」と伝え、所属していた団体の名刺をお渡しして別れた。

その後、同じルートを通ることはあったが、男性の姿を確認することはできなかった。

やはり、夜回りは成果の確認しにくい活動だな…と感じつつも、男性が何らかの支援に繋がっていることを願った。

隆史さんとの思わぬ再会

それから数ヶ月経ったある日のこと、「こんにちは…」と、伺うような小さい声とともに事務所に若い男性が来社された。

新しい衣類に身を包んだ彼のことを、筆者は一瞬認識できなかったが、顔を合わせてすぐに気がついた。

「永井さんですよね?」
「あ、あの時の!」
「はい!東京に出てきた初日の夜に路上でパンと福祉事務所の情報を提供してもらった者です。あの翌日に生活保護の申請をして、今アパートで暮らしています。」

夜回りで出会った当事者に後日路上以外の場所再会することは、当時の筆者には初めての体験だった。

聞けば、これからは生活保護で生活を立て直しながら、以前から興味のあったネイリストになるための勉強をしたいという。

わざわざ事務所まで報告に来てくれたことに謝辞を述べると、彼は笑顔でこう話してくれた。

「あの夜、永井さんに声をかけてもらっていなかったら本当にどうなっていたか分かりません。いただいたパンが信じられないくらい美味しくて、忘れられなくて、必ずお礼を伝えたいと思ってました」

隆史さんが教えてくれたこと

隆史さんとのやりとりのなかで、筆者が学んだことがいくつかある。

まず、「手応えがない」と感じながらも活動を続けることの意味だ。

やっぱり夜回りは「効率」の良くない活動かもしれない。夜の路上を2時間以上歩いても、その日会えた人が誰も福祉に繋がらないなんてざらである(というかそういう日の方が圧倒的に多い)。そもそも、路上の規制化などの関係で、見込んでいた人数の半分にも会えないという日だってある。

それでも、「夜回りを行わなければ確実に会えなかった人」も確かにいる。既に述べたような様々な事情から福祉に関わりたくないという人には、こちらから会いに行かなければ繋がることはできない。

そういった「アウトリーチしなければ会えない人」の場合、支援に繋がる人は1000人に一人かもしれない。それでもその一人は確実に存在しうるし、残りの999人のなかにも「気にかけてくれる人がいる」という程度のメッセージを受け取ってくれる人はいるかもしれない。

次に、支援者にとっての当事者は「1000人のうちの一人」でも、その当事者にとって支援者は「たった一人」になりうるということ。

筆者らにとって、事務所や路上でホームレス状態の方々とお話するのは日常的なことである。その過程では(当時)年間で述べ500人近い当事者とお会いすることになる。

しかし、路上生活当事者の方にとっては、筆者が「声をかけてきた初めての人」であることも当然ある。

そう考えると、「成果を確認できない」と悶々としているというのが、いかに自分本位で「目の前の一人」に向き合えていない状態だったかを痛感させられた気がした。

なんとなく惰性で声をかけ、支援物資をお渡ししていなかったか。諦めに近い感情で、流れ作業のように対応していなかったか。

こちらにとって相手は「1000人のうちの一人」でも、相手にとって自分は「たった一人」になりうるのだ。いまお話させていただかなかったら、その方は命を落としてしまうかもしれなかったのだ。

これからこの業界でどれだけのキャリアを積むことになるとしても、そうした緊張感だけは絶対に忘れずに精進していきたい。

これこそ、「たった一人」の隆史さんが教えてくれたことだ。






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