新聞さま、書籍さま

「新聞を読みなさい」「本を読みなさい」と謂われている。

文字の勉強にもなるし、社会の勉強にもなるし、興味の有無に関わらずバラエティに富んだ情報を得られるし、校正を受けているので正しいというのが理由だろう。
新聞に至っては、記事を切り抜いて感想・意見をまとめよう、社説や読者投稿欄の書き写しをしよう、といった取り組みもある。
書籍では、読書感想文などがあるだろう。

たしかに、どの理由も半分正しいと言える。
文字や社会の勉強にもなるし、興味の有無に関わらず情報も得られる。
校正も受けているので、確からしさは、ある程度ある。
さらに、その道の権威などが筆を執って、良質な情報を提供くださるものもある。
それだけ価値のある書籍もゴロゴロあるだろう。
新聞の取材能力なども組織的で資金もあるので、ある程度期待できるだろう。

ただ、新聞や書籍の確からしさは高いとは言い切れない。
新聞も人が作るものなので、必ずしも世の中で関心が高いことや国民にとって大切なことをピックアップしているとも限らない。

日本は民主主義で言論の自由が保障されているので、対立する意見であっても、書籍を出版できる。
これだけダイエット本があふれているのが良い例だ。
経済を見ても、さまざまな立場の人がいる。
それだけ正しさというのには絶対はないし、高いレベルとも考えられない。

よく「Wikipediaは誰でも編集できるから確からしさが低い」という意見がある。
確かにそうだ。
ただ、Wikipediaの場合は出典を明記するルールもある程度ある。
その上、書籍や新聞だからといって、必ずしも実名で記されるものでもないし、正しい情報とも限らない。

他方、テレビが出てきて、もう下降を辿る中でも、「テレビを見なさい」とは謂われない。
テレビも取材能力はあるだろうし、お金もあるだろう。
ましてや、日本ではテレビと新聞が独立していない。

紙を手にして読むことにステータスがあるのだろうと思う。
また、読み手の情報を受け取る能力も大切だろう。
書籍や新聞を読んだとて、そこから情報を適切に読み取らねば、なかなか期待するような効果は得られない。

インターネットも、テレビと同様に「ネットを見なさい」とは謂われない。
明らかに書籍や新聞よりも多くの情報量を誇り、一次情報にも簡単にアクセスできる。
法律も読めれば、行政のデータも見られれば、当事者の生の声も聴ける。
全国や世界の情報にアクセスできる。

ただ、書籍や新聞では、明らかに不味い情報は排除できるので、そこはネットは難しい立場だ。
他方、文字の勉強にもなるし、社会の勉強にもなるし、興味の有無に関わらずバラエティに富んだ情報を得られる。
紙だから文字の勉強になるという理屈は、あまり通らないだろう。
おそらく紙でもデジタルでも、「書けはしないが読めはする」という現象は起こり得る。
したがって、そこに大差はないと言える。

媒体は媒体に過ぎず、それを理由に優劣がつくことは、そうない。
どちらかと言えば、情報の受け取り手が、どう処理するかにかかっている。
情報リテラシーなどの言葉は、何もネット時代だから使うものでもない。
これだけ価値ある情報があふれ、安価に手に入れられる時代に、媒体の印象に捕らわれない手はない。

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