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【番外編】蕪木

知っていなければたどり着けそうにない場所にある、尋常ならざる雰囲気の漂う店、というか、ここが店なのかも知っていないと分からないのではないか、教えてくれた人に感謝する、土壁をくぐって右手のドアの横に、ちょっとした注意書きがあるのでそれを読む、写真撮影と、大声での会話等を遠慮いただく旨のことが書いてあった、と思う、入る、東京の真ん中にこんな場所があるとは、もっと別の地方にある、人里離れた山小屋のような雰囲気、しかしもし本当にそうならば絶対にそこにあるはずのない徹底した空気の洗練を感じる、コーヒー豆を扱い何やら作業をしていたお店の人が顔を上げ、声をかけてくれる、喫茶利用ですか、そう声をかけてくれなかったらここが店であることをまたしても忘れてしまいそうになっていた、階段を上り、上へ、人の家に来たみたいだ、左に行く、そっちは御手洗いだ、右へ行く、またドアがある、まるで初めて来た他人の家のようだ、ドアを押して中へ、今度はもう驚きより、納得のほうが勝っていた、薄暗い照明に、ダークな木を基調とした喫茶空間、スタッフの服装も黒い、黒子、だろうか、単なる拘りという言葉を超えた哲学をそこに感じた、カウンターで3種類のブレンドの中から最も深煎りのコーヒーと、ペアリングのチョコレートを選んで頼む、メニューを渡す所作、受け取る所作もおのずから恭しくなるというものだ、カウンターだと、やはり抽出の様子を見れるのが良い、時間をかけた丁寧なネルドリップ、左手でネルを持ち、右手で湯を注ぐ姿に感銘を受けた、コーヒーが出来上がる、じわじわした感触のワイルドな苦味、そしてコクがあり、豊かな味が広がっていく、フルーティ、というよりは、濃密でスパイシーな味だ、と思ったら、ドライフルーツのような落ち着いた味わいもある、いや、時間の経過でそのように変化したのだろうか、時間もまた、ここでは止まっているのだか、流れているのだか分からない、静かだからだろうか、しかし無音というわけではない、やはり誰かが誰かと話をする声、というものが、聞こえないからかもしれない、そんな静けさの中、京都で訪れた、鈍考という喫茶室のことを僕は思い出していた、この場所と相通ずるものがある、もっとも、あれは本当に人里離れた山の中にあったけれど、注文の多い料理店、下りの階段を降りているときにふと、この言葉が浮かんできた、そうだ、宮沢賢治だ、このタイトルからは、本当に色んなことを考えさせられる。

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