Day2.11:13 いま、ここにある、光のなかで——
——さあ、その先の景色を見に行こう。
…行こうとしたら、途中で風情のある光景を目にして、思わず立ち止まってしまった。
この窪んだ地形にも、かつては水が流れ込んでいたのだろう。古い石橋には人が一人、ちょうど通れるくらいの幅があった。今では水は枯れ、草木も土も荒れてしまったが、左右に歪み、朽ちかけてもなおこちらとあちらを渡そうとする石橋の姿には、過去と現在を架け渡す、もともとこの石橋がもっていたのとは別の不思議な力が宿っていて、数奇な役割を果たしていた。僕もまたここを通りかかった誰かがそうしたであろうように、かつてここにあった光景、風や音、行き交う人、そんな物語たちに、思いを馳せずにはいられなかったのである。
しかしそれはともかく、いまは先へ進もう。僕らが行こうとしていたのはそう、この先の——
——瑠璃光院だ。
おおおお……
なんて良い天気だ…。
じっさいこの日の天気は曇り時々晴れだったが、いい天気というシンプルな言葉のほうが、かえってその内容を正確に伝えてくれるようだ。太陽の緩やかな進行によって、またはその輝きにヴェールをかける雲の気まぐれなたゆたいによって、地上に降り注ぐ光の向きや強さは時とともにダイナミックな移り変わりをみせた。光と影の鑑賞者である僕たちにとってはまったく、僥倖というほかはない。
ここ、瑠璃光院は二階の書院からの眺めで、とくに名高い。
磨き上げられた写経机と、そこに映り込む青もみじの光景。
外の緑をよく観察すると分かるように、紅葉はまだその予感を微かに感じさせるほどで、もう少し時が経てば、今、僕らが佇んでいるこの場所ももっと多くの人で溢れ、静寂が破れるであろうことを予感させた。そうなる前に来れたこともまた、僥倖というべきだろう。
…まったく、なんと美しい庭だ。しかしこれで終わりではなく、
一階へ降りてゆくと、光に浴す「瑠璃の庭」を正面から眺めながら、
抹茶をいただくという光栄に浴した。
……。
紅葉によって燃え上がる前の、静けさに包まれた室内で抹茶をいただいた。
ふと、足音が聞こえたので驚いて庭を見ると、
誰もいなかった。
そこにはただ、光る庭があるだけだ。
誰かの足音だと思ったのは、自分の手の中の、
噛むと氷を踏むような音のする、
この「八瀬氷室」の菓子であったことよ。
瑠璃光院を訪れた僕の喜びは静けさのなかに募り募って、
ついには言の葉となって庭へとあふれ出した。
願わくば、いまここにある光や音、
そのうちのどれかほんの些細な一つでも、
心のキャンバスに写しとることができたなら——
そんな思いを胸に、歌を詠んでいた。
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