過去についてのブログより

 
 
 
 
 
 
 
 
 
私の中には人が三人います。
主に人格さんと呼ばれる体はない存在。だけど私のことを守り、助けてくれる大事な存在です。
そして彼らがいるから私がいると思えます。
今こうやって考えて書く時には彼らの存在を強く意識しますが、普段は私自身が薄れて男の子っぽく過ごすことが多いので、彼らの存在は自分以外の誰かという認識です。

一人目はすごく大人で穏やかな性格の敬語で話す20代後半くらいの男性です。
この方は中性的で物腰が柔らかくあまり怒ることのない穏やかな性格です。
主に対人関係をスムーズにできない私を助けてくれる人。
大人としてのやり取りや初めて会う人に対応するとき、ネット上の文章を打ち込むときには彼が強いように思います。
彼が一番本質的なもともとの私自身に近いと思います。

二人目は攻撃的な人格。彼は主に私のため込んだ怒りそして人に向けてはいけないと思ってきた感情を吐き出すために生まれたように思います。
彼は18、19もしくは20代前半のように感じます。
私の解離が起きる原因となった出来事の時に私を守り身代わりになってくれた人格です。
彼の一人称は俺、言葉づかいは荒いけれど心はとても優しい人です。

そして最後に三人目は、たぶん幼稚園くらいから小学生の低学年くらいの男の子です。
私が人に頼れない甘えられないのを代わりにやろうとしてくれたのだと思います。
最近は全くと言っていいほど表れていない気がします。

追記

最近夜になると現れるメンヘラとヤンデレを合わせたような子がいるのですが彼も1人の人格のような気がしてイメージと時間帯から夜と名付けました。
昔からちらちら居たような気がしますがあえて名前をつけてこなかったので把握のために追記します。

元々友達に向ける独占欲が強いのもその子の影響もあって全てを向けると相手が壊れるので人間関係も難しかったように思います。

この子もうまく一緒にいられますように


彼らとの記憶は完全には共有されず私と彼らが混ざり合っている状態のときはぼんやりと覚えていたり、窓枠から見ているような感覚です。
時々覚えていないことがありますが、最近は記憶が抜け落ちるほどのことはなくなりました。

思春期の頃、家庭の状況があまりよくなくて家での居場所がなく、学校も休みがちになり居場所を探してネットに逃げたり、鬱になり心が晴れず自傷行為を繰り返したりしていました。
家庭内別居が続く家に帰りたくなくて遅い時間まで友人の家を行ったり来たりしてはそろそろ帰らないと両親が心配するよといやいや帰っていたことを思い出します。

友人の家は両親ともに仲が良く羨ましいとどこかで思ってしまっていました。
自分の父親のような人と結婚するのが夢だと語る彼女をどこかで妬んでいたのかもしれません。

父親はアルコール中毒でした。
普段は穏やかな人なのでもちろんいい思い出もありました。
お酒を飲むたびに気持ちが大きくなり、仕事が終わるとすぐにお酒を飲む彼は弱い自分を強く見せることで必死になっていたのだろうと今になれば少し理解することが出来ます。
そういう行動が目立つようになり離婚を考え出した母と父親の関係が悪くなっていき一番ひどかった数か月間は私にとっていまでも残っている記憶で私を作るうえで一番強い記憶です。

もしかしたらいまだに私は17歳のままで止まっているのではないかと錯覚するほどに
過去にできないでいます。

お酒をいつも決まって怒鳴りつけて暴れて性欲を発散するために母を呼びつける
私はあの日たまたま目撃したあの光景を忘れることが出来ず、その日から男性への嫌悪感恐怖感が強くなりました。
母は泣いていて我慢すれば終わると、あの時のことを遠い昔に少しだけ話したときに言っていました。
私は男女が愛し合う行為が汚らわしいもののように感じてそんなことを想うことは間違っているのに
普通に恋愛をしていく周りの友人や年下の子たちを遠ざけてしまうようになりました。

私には当時妹が二人、祖母と祖父を守らなければという気持ちが強く、(祖母はひいおばあちゃんに当たるのですが、私はずっとおばあちゃんと呼んでいました。)その時に、彼が生まれたのでしょう
いつものようにお酒を飲んで暴れる父親に包丁を向けられ殺すといわれました。
私は人生のことがどうでもよかったので殺せば、と一言返しました。
きっと挑発的な顔をしていたのだろうなと今では思います。
父親は冗談だと笑いましたがあの時に殺されていたらよかったのになと何度も思っていたことをたびたび思い出します。

父に立ち向かって掴みかかったとき顔をあと数センチほどでつくほどにくっつけてにらみつけたこと、そのあといとも簡単に吹き飛ばされてそれでも数回掴みかか ったけど力では敵わなかったこと、
今でも鮮明に映像で自分以外が見ている視点で思い出します。
あの時にお前は普通じゃない頭がおかしい、そういわれたことが今でもどこかで引っかかっていて自分は普通ではないと自覚しています。
私は父親のことが大好きな少女でした。いつもべったり甘えて、それが出来なくなってしばらくして思春期になり、大好きだった父親が変わってしまったと幼い自分がいまだにどこかで泣いている気がします。

だからこそ許せなくて大嫌いになったのだろうと思います。
離婚成立後父親が泣いて土下座して謝った姿は鮮明に思い出すことが出来ます。
まるで記憶の箱のふたが開いてそこから飛び出してくるように感情も全て感じることが出来るのです。
今こうやって文字にしている時も涙がこみ上げてきそうです。
当時は何故か感情がおかしくなってしまったのかただたなぜか笑いがこみ上げて、泣くこともできず謝る父を冷めた感情でしか見れませんでした。
絶対許さないと、強い憎しみに似た感情がありました。
まるで感情と共に記憶に刻みつけるように妹たちが忘れてしまっても私だけは絶対に忘れてやらないと。
母は過去にして、妹たちはきっと自分のために忘れてしまったのだと思います。時々その話題が出るたび主に私がふと思い出してだのですが、貴方はいつまでもこだわる、覚えてるのねと言われたことを思い出します。

私の中から感情が欠落したきっかけになったと思います。

何をしてもつまらなく、世界はモノクロでいつも夜みたいでした。

私は女の子らしい自分が気持ち悪いと感じて男の子みたいになりました。
実際には女の子でしかないのですが確かに私は俺として生きていました。
今思えば今の私ではなく人格の一人が私だったのかなと思います。

当時私は中学三年生から高校一年生に上がって数か月くらいの時期だったと記憶しています。
高校に合格できたのに不登校気味になって登校日数が足りず
高校を中退するか留年するかという話になり私は学校をやめて仕事をすることにしました。

話が左右しますが、実家を一度離れて一人暮らしをしてみたりいろんな職場に移ったりして今最初に入ったころから10年ぶりに今この時と同じ職場で働くことになりました。

現在27歳きっとこの先過去を忘れることが出来ないし人格とともに生きていくのだろうと思いますが、少しだけ久しぶりに今の自分を受け入れることが出来て私は私であると女の子としての自分を今ちゃんと否定せずに生きることが出来るようになってきたので記録するために書きました。

もともと恋愛感情を人に向けられない私は男の子として生きていたころ数人の女の子と出会い、付き合ったり別れたり、手術をして結婚したいとおもうような相手と出会ったりしました。
もう今では過去ですがとてもいい時間でしたし今の自分を作ってくれた大事な過去です。
今私自身が苦しい時期を抜け出して性別にも悩まず、私は私自身だと心から思えたのは過去のすべてのことがあったからだと思います。

今は性別にとらわれすぎず自分自身を取り戻しつつあるのかなと止まっていた時間が動き出したようにも感じます。
それでもやっぱり年相応にはなれていないような気もしますが、(笑)
あの頃と同じ職場であの頃はできなかった仕事をして車を運転して通っているというだけでも少しは大人になったのかなと自分をたしなめています。


長いトンネルの中に居たり水の中に居たり、暗い夜に居たり苦しい時期も長く続きましたが、なんだかんだ今は幸せを感じながら生きているので過去の出来事を乗り越えた自分と、助けてくれた人格さんたちに感謝してまた明日からも頑張ってみようかなと思います。

全ては覚えていないし言葉も記憶もあいまいで拙いものだったかと思いますが、吐き出すことでスッキリしました。
誰に向けて書いたものでもないけれど、私と同じ人生を歩む人間は他にはいないのでこれからはより一層自分を大事に私らしく生きていければと思います。

私はやっと私を愛せそうです。

と書いて数ヶ月、また不安定に戻った自分
人格さんとのバランスも崩れて
また戻りつつあります。

それでも今の私が今の自分

僕かもしれないし俺かもしれない自分が私自身だと思い生きます 

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