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住所不定会社員日記63日目(住所不定無職日記144日目) 最後の日記

 今朝は6時半に目が覚めた。布団を出たのは8時だった。7時頃に荷造りをする音が聞こえたが、夏に入ってからは珍しくお客の少ない日で静かな朝だった。シャワーを浴び、昨日ドラックストアで買ったヘアパックをする。髪を乾かして、ツナマヨトーストを食べ、今日のベッドメイク数を調べる。どこのベッドを清掃するかを書いて、一階のロビーのカウンターに置き手紙する。昨日から新人の清掃スタッフが入り、指示を出してから宿を出る。
 朝からいい天気の中、毎日の通勤ルートになっている公園を通り抜ける。地元の観光スポットで、街中のビル街なのに近代建築の大きな建物と周囲の緑が少しだけ癒しになる。朝から門の前で記念撮影をする人々を尻目に、公園を突っ切って会社まで近道する。昔はこの建物が嫌いだった。地元を象徴するくだらない建物だと思っていた。だけど、こうして毎日緑の中を歩いていると自然と愛着が湧いて、この道を通りたいと思うから不思議だ。
 公園を抜けると、ガラス張りのオフィスビルがある。オフィスの窓同士が鏡のように映りあって、線対称な模様を作っているのを見ながら歩く。通り過ぎると、街で一番歴史のある老舗ホテルがある。外観は古びて、デザインもいいんだか悪いんだかわからないけれど、毎日眺めてしまう。そうして大きな通りを抜けて、街の一番の観光名所の高層建築物を見て、会社に着く。

 お昼は昨日から入った新人さんの歓迎会で職場の人とランチに行った。昼に清掃スタッフから連絡が入り、答える。明日、明後日のリネンを確認し、発注する。夜は比較的早く帰れたので、買い物をしてからホステルに帰る。
 ホステルでは、友達のスタッフと前にボランティアスタッフをしていた男性がカウンターでおしゃべりしていて「おかえり」と迎えてくれる。ホステルは宿泊者数が好調に伸びたので、夜にバー営業をするようになった。今の所飲んでいくお客さんは少ないが、私はお陰で毎日ホステルに帰ると友達がいて幸せだ。炊飯器を借りてご飯を炊きだめし、パスタを茹でて食べる。途中でお客さんのチェックインを助け、友達と一緒にアイスを食べて片付けをして見送る。

 3月31日に実家を出て、ホステルに宿泊してからもう丸4ヶ月が経つ。相変わらず同じベッドに住んでいる。この4ヶ月の間に目まぐるしく毎日が変化した。無職・無一文とまではいかないが、無職・限りなく無一文で住み出し、フリーライターをやって、宿のスタッフになって、就職して。友達がいっぱいできて、毎日楽しいことばかりだった。

 友達が増えた。宿の一階に入居している飲食店のスタッフが入れ替わり、みんな初めてだったので仲良くなった。
 映画の社会人サークルに顔を出しているうちにスタッフに入れてもらった。みんなで上映会を手伝って、飲んで、遊んだ。
 同業の友達と話が合うようになり、残業後に遊んだりした。
 近所に住んでいる昔からの友人と週末にご飯を一緒に食べて、幼なじみたちと資格試験の勉強をしたり、お菓子を作って遊んだりした。

 宿の仕事は正直きつかった。6月から一気にお客さんが増え、毎日平均10時間会社で働いているのに、出勤前と後に清掃をしてベッドメイクして毎日毎日ベッドの心配ばかりして泣く日もあった。別にやらされているわけじゃないんだから、辛いと言えば誰か助けてくれるのに、全然辛いと言えなくて一人で拗ねていた。鰻登りで客が増えるから流石に一人で対応できなくなり、やっと8月からアルバイトを雇ってもらえた。
 怒涛の忙しさの合間にどんなふうに時間を作っていたかもう覚えていないくらいだが、人生でこんなに飲みに行ったり遊んだりした日はないというくらい遊び尽くした。22時まで残業してから友人の飲んでいる店に行って、1時に寝て7時に起きて9時までベッドメイクして会社行って21時から帰って清掃した後で23時から飲みにってみたいなめちゃくちゃな生活をしていた。結構体調も崩した。

 毎日が不思議だった。よく見知った街の景色が上書きされていった。嫌な思い出のある道を楽しい思い出が塗り替えていく。こんな人生があるんだなと思った。

 毎日のように誰かに「行ってらっしゃい」と笑顔で言われて、「行ってきます」と言える相手がいて、帰って来れば「お帰りなさい」と言われて、帰ってくるお客さんに 「お帰りなさい」と言う。それだけのことが、全然それだけじゃなくて、幸福だった。

 会社も信じられないくらい、今までの過去の経歴では考えられないくらいホワイトだ。残業時間が長いのは確かにネックだけど、唯一許せる条件が残業時間だったのでオッケーだ。それにしてもそれ以外がホワイトすぎる。とにかく優しくて、働いている人がみんな性格が穏やかだ。こんなこと今までの職場ではあり得なかった。とにかく毎日が平和に過ぎる。だけど今までおかしかったのは類は友を呼んでいただけで、私自身がどこか穏やかになったせいだったりするんだろうかと考えたりもした。

 それでも先の不安はつきまとう。新しい清掃スタッフは来月からワーホリに出てしまう。自分より若い子にばかり囲まれて、みんながワーホリや留学に出ていく。ビザが切れたら旅に出るという子もいる。新しい環境へ出ていく子ばかり。私はと思ったりもする。これから何ができて、何を残して死ねるだろうか。忙しいのはいい。何も考えずに済むから。手が空いてくる今こそきっとそう言うことをまた考え出すだろう。

 まだこの宿を出てからのことは考えていない。全然考えられない。普通の生活がしたいような、したくないような気持ちだ。良い思い出ができてくると、ここで暮らす人生も悪くないと思えてきちゃったりもするし、でも遠くまだ見たことのない場所で自分にできることをしたいとも思うのだ。

 働きながら、7月から小説講座に通ってみた。講座といっても技法の取得なんてものはなく、ただ期限内に書いた作品を回し読みして行く会のようなもので、書くいいきっかけになるかと思い、申し込んだ。
 初めて書いた小説を他人に読ませた。書けたのは小説ではなく、ほぼ私の言葉で、身を切り売りしたものだったけど。自信はあったけど、なんかふわふわしていて、作品と割り切って書いてみた。読んだ友人が泣いてくれて、欲しいと言うから一部あげた。フリーライターの時の編集さんは、「仕事の時より抜群にいい、なんでこんなうまく書けるのに仕事で発揮されなかったのか」と褒めてくれた。何よりも書いた文に込めた切なさがちゃんと人に伝わって、私以外の経験していない人にも伝わって驚いた。文章を書く仕事をずっとしてきたけど、初めて本当の意味で人に伝わったような気がした。

 会社では記者だったからという理由で、校正を頼まれるようになった。校正なんて校正係に任しっぱなしにしていて私は何も知らないと思っていたけれど、気がつけば辞書を引くようになった。おかしなもので、現役の時はあんなに誤字も脱字も気にしなかったのに。私がこの会社では校正に一番近い場所にいた人になるのだからと思うとなぜか気合いが入り、変な文章をひたすら直すようになった。
 書くことから離れ、毎日デザインソフトやコードを書いていると自然とまた文章が書きたくなってきた。

 心の整理のために始めたこの記録だけど、これで最後にします。ここに書かなくても整理できるようになってきたから。一番ひどく途方に暮れていた時に、日記を書き続けたことで救われる部分が確かにあった。こうやってここで書いて誰かに反応をもらったり、確かに読んでいる誰かがいるんだなと思えたことで、まだやっていけそうだなと思えた。

 日記は当初の予定通り順次下書きに戻してます。量が多いので少しずつだけど。自分の文章が好きだから、消すことは無く、自分の手元に戻して、大事にしまっておきます。
 これから何者になるかわからないけれど、何者でもないかもしれないけれど、多分きっとずっと何か書いてると思う。それだけは変わらないと思える。だから、きっとこの日記も後で何かの糧になる。こんな日々を記録していたことが、きっといつか私を助けるし、それが誰かのためになるかもしれない。

 書けて楽しかったです。読んでくださって、ありがとうございました!
 また!

 


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