-私と文字- 【ri-koエッセイ#1】


文字を書く事がとても好きだ。

デジタルに移り変わっている昨今だが、アナログで『文字を書く』という事が、昔からとても好きだった。手紙もよく書いた。口で言えばいいようなどうでもいい事も、わざわざ文字で書いて渡していた気がする。また何かのメモをとる時も文字を綴って残す習性が私にはあると思う。
もちろんデジタルが嫌いな訳ではないし、デジタル文字を否定する気もさらさら無い。こうしてパソコンやスマートフォンでの『文字を打つ』という作業に慣れ、多くの方がご存知の通りTwitterに常駐し思いつくままのモノローグを打ちたくり全世界へ放っている始末だ。

…それでもずっと『文字を書く』という行為が、とても好きなのだ。


『文字を書く』行為が好きだと言うとよく"手書きの温かみが…"やら"手書きだと気持ちが伝わる…"やらと言った説で納得される事が多いわけだが、私としてはそんな事は本当はどうでも良い。
サッカーをやるのが好きだと言う人に"サッカーゲームじゃ温かみが伝わらないものね!"なんて言う人はほとんどいないのに、書くという行為にはなぜいちいち心を付き纏わせるのかずっと疑問だった。そう言われる度「そうですねぇ」と同意を口にしながらも心の中ではまぁそういう部分もあるかもしれないと冷めた対応をしていた。

私はただただ『書く』という行為が好きなだけなのだ。

一体いつから好きなのだろうと考えてみた。恐らくひらがなを習う段階で好きだった。書き方練習のドリルなんかがめちゃめちゃに好きだった記憶がある。異様な集中力を発揮しゲシュタルト崩壊を起こしながらも書き続け、書く枠がなくなるともう書くところが無い…とがっかりした。枠外の空いたスペースにも漢字を書き連ね、ある種の呪いノートのような物を生み出していた。


もうひとつ言うと、私は漢字が好きだ。漢和辞典を読み進める程には漢字が好きだ。学生時代いつも小説を読む時には漢和辞典を横に置いて読んでいた。わからない漢字が出てくるとすぐに辞典をひいて調べた。そしてそのまま漢和辞典を読み進めていき、あれ?そうだ私は小説を読んでいたのだった…と我にかえる。そんな事をよくやらかしていた。
知らない漢字を知るのが好きだった。知っている漢字の知らない読み方を知るのが好きだった。単に『知る』行為が好きという部分もあるのかもしれない。
知らない漢字を見つけると覚えようと何回も書いてみたりした。おかけで勉強嫌いの私が漢字テストはいつも何もしなくても良い点数だった。
無駄に『憂鬱』と『薔薇』を漢字で書ける小学生だった。

おまけで『文字』という括りで言うと、最近なんとなく気付いたが私は『フォント』も好きだ。デジタルで文字を書く時に選べる文字の形。これを結構気にする質のようだ。何かというとフォント選びに勤しみがちだ。
これも好みとしては手書きっぽいフォントが好きな傾向がある。別に温かみが…とかではない。
単純に、フォルムの問題で。


…と、どうでもいい文字についての話をつらつらと説いてしまった。『文字を書く』という行為が好き、というだけの話であり、そんな私がこれから何かしら文章を書いていこうと思うわけですよ。すごくくだらなさそうな予感がしますね。
そしてさすがにこれを手書きで書こうとは思わないですね。すごく汚くなって読みづらそうだ…。
なのでデジタルですが、良ければお付き合いくださいね。



- ri-koのエッセイ『私と私』-

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