死 について
※この記事は自殺幇助、自傷等を勧める意図は全くありません
それを踏まえた上でこの記事を読んで下さい
週7カップ麺
今は手術で整形外科に入院している(手術は済んだ)
その入院する前も色々あった
理由は伏せるが、グループホームを追い出されそうになり、逃げるように整形外科に入院したこと
もうあの静かに怒った声が怖くて怖くて仕方がない、思い出しただけで涙が出る、本当に
トラウマ的な物を植え付けられたような気がする
もうあそこには帰りたくない
全て自分が悪いんですけどね
最近は、気温の変化のせいか
分からないけど
激しく病んでしまった
母親や主治医に「死にたい」と永遠に言っていると、監視カメラのある部屋に移動させられた。荷物もほとんど回収された
主治医(自殺未遂したときに手術をしてくれた先生)に「どんな症状がある?」と聞かれ、「すごく鬱で、死にたくなるんです、終わりにしてしまいたいです」と言い、色々話すと
「もう間違ったことしちゃいかんよ」「何もいいこと無いからね」
と少し冷たい口調(いつも)で言われ、多方面に迷惑をかけている自分に嫌気がさした、今回は特に、心が疲れているからか更にそう思ってしまった
もう全ての頭に入ってくる情報が嫌になり、天井を見つめたり、壁を見たり、眠ったりしていた
本当に全てを終わりにしたく、飛び降りようとも思った
ここの高さなら確実に死ねるからだ
だが精神科と同じく、窓は15〜20cm程しか開かなかった
なのでベッドシーツを細く切って首を吊ろう、とも思った
でも切れるものがなかった
破いてやろうとも思ったが、謎に頑丈で全然ダメだった。
しかも病院で自殺だなんて、迷惑極まりない(どこで何の手段でもやっても迷惑なのはそうだが)
なんだろう、私って視野が狭くなっているときは考えたらわかることもわからなくなっているのかな
と冷静になった今、考えた
母親に「時期的なものもあるからね」と言われ、「そんなもので私の病気を片付けて欲しくない」
と少々プライドが高いことを心の中で思ってしまったが、本当に寒暖差がある時期は毎回自殺未遂、自傷、ODの頻度が増えているのでそういうことも実際有り得るな、と思った
最近考えていることは、「よしっ」とか「みんなのこと助けれなくてごめんね」と言って自決を果たしたい、とよく考える
その理由はと言うと、私がチラッと覗いたX(旧Twitter)アカウントの最後のツイートが
「自殺の練習してくる」
だった
それ以来そのアカウントは見つけきれなくなってしまったが、死について考えているとその最後のツイートが頭に浮かぶ
話が少し飛んでしまったが、私はその様なツイートを最期にして死んでしまって二度とタイムラインに現れることが無いのはすこし憧れるものがあるからだ。
こういう希死観念的なものは憧れるようなものでは無い、と自分でもわかっているのだが
どうしても
“死は救済”
という概念が頭から離れない
私は母親と共依存関係に有るので、死にたくなるとよく母親に助けを求めたくなくても求めてしまうのだが、その度に「死んでどうするの?」「死んでも地獄で苦しむだけ」「親のことは考えないのか」
と言われ、終わる。
そういうことでは無い
私の中で自決は、実行したら“終わり”、“無”なのだ
俗に言う天国や地獄、別の人間となって全く別の人生を歩むこと
そんなものは全くもって信じていない
死んだ父親が宗教にハマっていて、幼い頃はよく“教会”と呼ばれる場所に連れてかれていた
その教会の偉い人、“先生”は
「死んだら御霊様になる」
と言っていた
私は幼いながらも「何をバカげたことを言っているんだこの人は」
みたいに思っていた
教会に行くと毎回その様な薄っぺらい話をされるので教会に連れてかれるのは少し憂鬱だったな、とたまに思い出す
この記事を読んでいるみなさんも、お大事に。
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