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私には見えない(2)

前編:わたしには見えない(1)

「あの時の母は見た事ないような顔で私の事見てて、すぐにハッとして“おかえり”って言ってくれたけど学校で起こった事件の事なんて話す気になれなくてね……」

気が重いまま今のソファでお菓子を食べている間、夕方のニュースではまたあの子のニュースがやっていた。
知っている場所が次々とテレビ画面に現れてスリップ痕やまだ残る小さな血痕を映してゆく。

「母は忙しそうに家事をしてるし、父も帰ってくるまで時間があったし……部屋で宿題でもしてようと思ったんだけど」

キッチンで夜ご飯の仕込みをしていた母の横をすり抜けたが、母は無言のままだった。

「いっつもは部屋に戻るの?とか、どこか行くの?って聞いてくれるんだけど、その日は何にも言われなくて……学校での苛めの事を思い出してしまって……」

さらに気落ちして部屋に戻った。
どうして何も言ってくれないんだろう。
というか、どうしてあんな悲鳴をあげたんだろう。どうしてあんなに驚いた顔をしているんだろう。何があったんだろう、私、何かおかしなところがあったのかなあ?

「いつの間にか夜近くになっちゃって、玄関が開いた音で目が覚めたんだけど、お父さんが帰ってきたみたいなのね……それで出迎えに出たんだけど」

帰宅したばかりの父は階段から降りてきた曽根さんを見て息を呑んだ。

母と違い悲鳴はあげなかったが、あからさまに“ぎょっ”とした顔をしている。
ただ、暫くすると気を取り直したように「ただいま」と曽根さんに呟くように言うとそそくさと部屋に入って行った。

「2人とも何か私には見えない何かを見てる、ってわかったわよ。でもね、何を?って聞けなかった。何となくわかってたから……きっと、そうなんだ、って」

教室で自分には見えなかったが、きっと“あの子”が見えたのではないかとそう思った。
きっと自分の近くにいるんだ。そうだ。
ただ、曽根さんにはそれが見えない。何もわからない。感じ取れない。

ただ、次の日から学校であからさまに曽根さんを避けるような素振りが強まったのは事実だ。

今までは何となく“いない”として扱われていた空気のような存在だった曽根さんが、排除するべき異物として認識され始めたというのを彼女自身が感じるほどに避けられた、という。

それに、ひそひそと何か言われているような気もした。
一度だけその“ひそひそ”が耳に届いたことがある。

「あいつ、たまに真っ赤に見える時ない?」

曽根さんには何の事だかわからなかった。
ただ、脳裏には車に轢かれたあの子の姿が自分に重なっているようなイメージが浮かんでいた。

見えないからただの妄想でしかないし全然違う理由かもしれないけどね、と曽根さんは笑って言う。

「それだけじゃなくてね、街を歩いててもたまにぎょっとされるの。目を逸らされたり、明らかに距離を開けられたり、心当たりはあの血のついた雑草の事だけだったけど、どうしていいかもわからなくて」

また一つ学年をあがったがその頃にはもう学校中がなんとなく曽根さんを知っているような雰囲気だった。
誰も何も言わないが、曽根さんは明らかに何か異質なものになっていた。
生徒だけではなく先生もたまに驚いた顔をしてこちらを見ている時がある。

中学3年生から高校生になって、入学式の日もたまにすれ違う生徒に二度見をされたのを、今でも鮮明に覚えている。

「高校に入っても誰も話しかけてくれなかった……でも、同じクラスに同じように1人きりでいる女の子がいて、その子なら友達になれるかもって近づいたの……その子は苛められてはなかったけど、不思議ちゃんって感じの子」

いつも静かに隅に佇んでいた小松(こまつ)さん。
彼女の家がお寺だったか神社だったか、少しお堅い雰囲気で周りからは浮いていた。
控えめな性格なのか、あまり自分の意見は言わない。

その子は曽根さんからあからさまに目を逸らしたりした事はなかった。

また、シンパシーを感じたという。
あの子の事故現場を見た時と同じように。
1人なのだ。彼女も、私と同じなんだ。そう思った。

「ねぇ、って話しかけたの」
曽根さんは思い切って声をかけた。

「なに?」
「あのね……」
「ごめん……先にちょっとだけいい?」

小松さんは、少しだけ困ったような顔をしていた。

「あの……あなた、誰か苛めてたの?」

は?という顔を思わずしてしまったという。

苛められていた記憶はあるけれど苛めていた記憶などない。ありえない。私はずっと無視され続けていたのに。
それに、誰からも相手にされていない私のこの様子を見ていれば直ぐにわかるはずなのに、何を言っているんだろう?

「苛めてない」

「そう……。いまから私、変な事いうから聞き流してもいいよ……。貴女の後ろで頭が割れて血塗れの小さい女の子が“一緒じゃない、馬鹿にしないで”“私はお前とは違う”“あんな酷い事したお前なんか友達じゃない”ってすごく怒ってるよ……心当たり、ない?」

言葉を失っていた曽根さんに、小松さんは「ごめんね、私、貴女とは一緒にいられない……ごめん……ばいばい」それだけ言うと小走りで他の生徒の輪の中に入って行った。

浮いて見えていた彼女が人の輪の中に入るのを見て、彼女の中にはとてつもない喪失感だけが残った。

それからの高校生活を、曽根さんはほとんど誰からも話しかけらないまま終えた。

「これはね、きっと呪いなんだと思う……。あの子に呪われたんだと思ってるよ。私、あのとき嫌いな子を呪いたくて仕方なくてあんな事したけど、あの子にとっての嫌いな子は私なんだよね」

未だ、一緒に住む両親はたまに驚いた顔をする。
何となく一緒にいると口数が減って、気まずい雰囲気になることが増えた。

家を出る事も考えたが、職についても一つどころに収まるのは難しかった。
一度清掃会社に就職したが他の従業員があからさまに彼女を避けるので精神的に参ってしまった。

現在、彼女は部屋に引きこもって、職を転々としながらなんとなく惰性で生きている。

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