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6月19日 午前4時31分

1番怖いものを見た人間が強くなれると思っている
私も強いがこうなると何も無い。
死を想像した。死後を想像した。
何も無いだろう今と同じで何も無い世界だろう。
暗くて何も見えない世界だろう。
私は人に言えないような犯罪を何回もしている。

地獄が存在するのなら間違いなく地獄行きであろう。別に何でもいい。
私には両親が居ない母親は自殺 父親は後を追うように死んでしまった。当時私は小学6年生だった。
母親は鬱病、社交不安障害、統失気味であった。
そして私は双極性障害と境界性パーソナリティ障害と解離性健忘を患っている。世界から1人取り残されているような そんな感じがするのだ。今は2人の姉と姉の彼氏のヤクザと暮らしているが姉は毎日のように私に暴力をする何も感じなくなった。
慣れてしまった。慣れるのは悲しい事だ。
幼少期から親にもそうされていたから。
保育園のお遊戯会、薬、酒に溺れていた母親が初めて来てくれた。周りの子に「あの子のお母さんおかしい〜」と言われた当時は理解出来なかった
今になってはよく分かる。

でも私は最低な親が今でも大好きだ

2022年の夏。確かには覚えていないが躁状態だった私は精神薬を50〜60錠とストロングゼロを6缶流し込み首を吊った。ICUに運ばれ目が覚めた瞬間に点滴をぶち抜き、走って出口を探した。看護師に抱き抱えられ戻された。その後閉鎖病棟へ入った。
拘束され監視カメラが2台ある真っ白な広い部屋
トイレまで看護師が着いてきた凄く嫌だった 。
病気が悪化するばかりだった。
入院初日 金縛りにあった。それも奇妙な金縛りであった。体が固まり、急に真っ暗な所へ落とされたかと思いきや半透明の白いカーテンがたくさんある
部屋に場面が移り代わった。私はそれを必死にかきわけ進んでいる途中に死んだはずの父親が私の名前を呼んだのだ。その後金縛りから解放されパニック状態の私はナースコールを押しまくり看護師に抱きついた。ちっとも優しくなかった。眠剤を追加され無理やり眠らされた。あんな所には二度と行きたくないがそこでできた友人が3人居た。思い出すのが辛いので多くは語りませんが、そのうち2人は自殺してしまった。
特に仲の良かった1人の女の子とは
「どっちが早く死ぬかゲームしようよ」
と言われていた。あっけなく負けた。
孤独な私は今後どうなるでしょう。

乞うご期待を。それでは

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