#5 Thanatos


ほかの男ともこんなふうにしたんですか
よかったですか
 
落ち着いた声でSが聞いてきたのは、ベッドの上だった。
私達は向かい合って絡み合い、上りつめようとする直前だった。身体を揺らしながらささやいてくる。

「遊びじゃなく本気で愛してた?
今も?」

私は片手でSの口を塞いだ
Sは私の指を口に含んで甘噛みし、まっすぐこちらを見てくる。
眉根ひとつ動かさずじっと観察しようとする、その視線から逃れようと、私は背中へ腕を回した。舌を彼の耳に這わせ、はっきりささやいた。

「そう、本気です」

Sは短く息を吐くと、さらに強く突き上げ始めた。
新たな波が押し寄せてきて、身体をさらった。強い力で流され、達する瞬間が来ると世界が遠くなった。

果てる間際、Sの背中に爪をたてて引っ掻いた。彼は痛みに顔をしかめたが、何も言わなかった。

立ち上がり、水を取りに行く彼を横たわったまま見ていた。
その背中に赤く筋が残っていた。

ワインの栓を開けた時点で、今日はもう帰れないとわかった。
Sの精一杯の誘惑がいじらしく、心が動いた。
無言のまま受け入れると、私の頭を抱いて髪を撫で、顔にキスしはじめた。

別の男の存在に、Sがいつ気づいたかはわからない。
髪に、私の吸わないタバコの匂いか、男物の香水が残っていたのかもしれなかった。

今日の決定権を持っているのはSだった。
私は刺されようが毒を飲まされようが、文句は言えなかった。
彼に出会う前から、ずっと抱えている渇きがあった。どうにかそれを癒そうとしていたら、こんなところに流れついてしまった。今できることは、欲望のままに生きてきたつけを払うことくらいだ。


うつろになった身体を投げ出していると、Sの黒い湿った目が顔をのぞきこんできた。汗ばんだ喉が上下に動いているのが見えた。
ボトルの水を、口移しで私に飲ませてきた。生ぬるい水は口からあふれて顔や胸に広がる。
「もっと?」
私の濡れた、うなずく顔をじっと見てから二口目をくれた。
むさぼるように吸い尽くす。
滴る水を舐めるように、Sの舌が私の首から胸へと、さらに下へゆっくり降りていく。声がもれるのを抑えられない。


Sは私の片方の足首を高く持ち上げ、くるぶしにキスすると、有無を言わさず中に入ってくる。奥深くまで。
そしてまた、疲れを知らずに私を揺さぶりはじめる。
目の前が白くなって意識が遠のきそうになると、Sは私の肩を噛んだり頬を叩いたりして引き戻す。
彼が情熱と一緒に、いくつもの感情をぶつけてくるのを感じた。
それを必死で受け止め続け、いつか来る終わりをただ待った。
そこにいるのはかつての、私の要求に応えることに終始していたSとは別人だった。いったい今私は誰に抱かれているのだろう。
どうでもよくなって、すぐに考えるのをやめた。


Sに呼ばれる。
「電話です」
夢の中のようだったが、現実だった。
いつのまにかサイドテーブルに置かれていた私の携帯電話に、着信が入っている。液晶が点灯する。それを拾い上げたSの目が、光に照らされて鈍く輝いた。
肩で息をしながら勝手に通話を始め、焦る私を横目に会話をしている。

「もしもし」「夫です」「かわりましょうか?」

Sは電話をあっさり手渡してきたと思ったら、のしかかり、私の感じる部分にキスを浴びせはじめた。
2人の息遣いが電話の向こうの恋人に聞こえるように、わざと大きな音をたてる。
電話から、何かわめくような遠い声がする。
背徳感による興奮で私はうめいた。
背筋を何かに掴まれる感覚に震えた。

「こういうのが好きですか」

汗まみれになっているSがつぶやく
私はとっさに顔を覆うが、腕をつかまれてそれは叶わなかった。顔を覗かれ、荒い息がぶつかる。耐えられなくなった私は頭を上げて唇を重ねた。狂わされる一方だった。このまま私は死ぬだろう、という妙な予感に襲われる。 

Sによって突然、世界から隔絶された、暗い部屋に閉じ込められたようだった。
すぐそこに、いつも存在するのに誰からも見えない場所。誰も窺い知れない彼の心の中にも似ている。
そこから抜け出せなくなる感覚に目眩がする。

執拗な責めはいつまでもやまない。
身体が麻痺してきた気がして、Sに髪をつかんでくれと頼んだ。
荒く髪を引っ張られ、刺してくる痛みに身震いがする。
今度は私が、Sの背中の傷をなぞるように、もう一度強く爪を皮膚に食い込ませた。彼は痛みにびくりとして私の肩を強く抱く。

「こうしてください」 

Sの両手をとって私の首に乗せ、自分の手を重ねた。力を込めた。

彼は唇を噛んで言った。

「だめです」

「本当に殺してしまいます」

声が震えていた。

まぶたを撫でる細い指の感触と、跡が残るほどの強い口づけを首筋に感じながら私は目を閉じた。


朝が来るまで私たちはあらゆる体位を試したり口でしたり、力尽きるまでお互いの身体を溶かしあった。
渦になった快楽と虚無がその場を満たし続けた。私は朦朧としたまま、それにとらわれて流されるだけだった。
死の影が、風のように私の頬を撫でては去るのを繰り返した。気が遠くなり、いつのまにか夜の終わりが来ていた。

目を覚ますと、Sはいなかった。
テーブルの離婚届にはサインがしてあった。結婚指輪がぽつんと置いてある。

窓の外はすっきりと晴れている。
頭に酒がまだ残っており、身体の節々が痛む。空腹を感じた。


バスルームの鏡を見ながら、身体中に残る赤い痣をひとつひとつなぞった。
これはいつか消える。けれど私は昨日までのようには生きられないと思った。
私の中に焼印を押されてしまった。罰であり所有を意味する目印を。
私は必ずまた、Sの元に戻るだろう。

会いに行こう。Sの背中の傷が癒える頃。
そして彼が自分では見えないところ、隠している秘密の場所に、また新しい傷をつけよう。


お互い傷をつけあって、ある日どちらかが死んでしまう時が来たら、見つめてほしい。
その瞬間は、あなたの顔を見ていたい。


おわり


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