見出し画像

言葉を紡ぐ職業だからこそ

いまのお仕事をはじめてから特に意識していることがあって、どんなときであっても言葉は人を傷つけることができるということ。以前から重く捉えていたけれども、最近特に深く考えるようになった。

だから最近は電話よりもLINEやメッセージのやり取りがすこし苦手。親や妹にはそこまで気にすることなく、いままでと変わらずにスムーズなやり取りができている。けれども、知り合いや後輩(友だちと言わないのは察してください笑。)の返信にすごい時間をかけている。

もちろんすきな人への返信は特に何度も見直しては「この文章で送って大丈夫なのかな…」「傷つけたりしないかな……」とすごい気にしてしまって返信が遅くなったりしている。

自分では気づかないところで、わたしの言葉で誰かを傷つけてしまっているのではないかと思うとこわくてこわくて仕方がない。


でも、反対にわたしだって傷つくことがある……らしい。


昨年よりも半年前よりも誰かに対して怒らなくなった。なにか言われて傷ついていたとしても「そうだね〜」ってとりあえず受け止めて揉めないためになにも言わない。言えないのかもしれないけれど。

長年ずっと我慢していたことから先日ようやく解放されたので残しておこうかなと、ちょっと書いてる。のです。

わたし元々踏み込まれることがあまりすきではない。それが特定の話題だけなのか、人によるのかは自分でもあまり理解できていなくて。

でもこうやって考えたとき、すきな人という存在は別に深く気にしないのかなともおもった。時と場合によるけれど、いろいろ聞いてくれていいよってなる。(すきな人だもん、そりゃそーか笑。)

ある人が「友だちなら腹割って話す」ということを常に言っていて、わたしはそれがとても負担だった。元々うまく話せるタイプでもなく、人の言葉に敏感な部分もあり「これを言って傷つけてしまったら……」って先に考えて言葉が出なくなる。

だから「腹割って話す」がとてもこわい。

でもそのある人は腹割って話したいとおもっていたため、心無い言葉に何度傷ついてきたのかわからなくて。腹割って話す=なんでも言っていいとおもっているところがとてもこわいとおもった。

「あなたのためをおもって」とアドバイスしてくる人も「いつもこのパターンでしょ」とわたしのことを決めつけてくる人も嫌いだ。

「あなたのため」
「アドバイスだから」
「友だちだから」
そういえば許されるとおもっているところがまた甘いし、言葉の重みを考えていないと感じた。

そんな想いを抱いて何年も我慢していたら、先日関係が終わり……ようやく長年縛られていたことから解放されたのかなとおもった。



わたしが傷ついていたことなんて気づかなくていい。謝ってなんてくれなくていい。「れんちゃんに傷つけられた」とおもってくれてていい。ただ、ほかの人にも同じように傷つけるようなことはしないでくれとおもうだけ。



(うまく自分の中で終わりにすることができなかった。でもいま仲良くしてくれている仕事関係の人や後輩・SNSやこのnoteで仲良くしてくれている人には感謝です。いつもつたない文章を読んでくれてありがとうございます。)

よろしければサポートお願いします₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎💕✨