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コンプレックスと大切なもの

なにかがきっかけでコンプレックスになっては、ずっとずーっと引きずったり嫌な気持ちを抱いては「これがなければ……」なんておもうことは誰もが持っているもの。

きっかけがどんな些細なことであっても、誰かのコンプレックスになったり嫌な気持ちを与えてしまうことを考えると、大きなことなんてものは言えないものだ。

でも、同じように誰かの些細な一言で長年抱えていた嫌なことを手放せたり、すきになったりすることも当然あるからこそ、わからなくなったりもするし、人の言葉はエネルギーであふれている。

物心ついた頃から自分の名前は嫌いで呼ばれたくなかったし(もっとかわいい名前がよかった)、期待されてる分だけ応えなきゃいけないとおもっていたし、太ったらがっかりされるとおもって太れなかったし……自分のお顔も手もなにもかも嫌いだった。

でも、そんな嫌なことやコンプレックスって、自分がおもってるより周りはそれほど気になんてしていなくて、気にしているのは自分だけ。だからこそ、大切な人の一言ですきになったり、手放せることも当然あるものだ。


「手きれいだなって見てた」
「もっと太っていいよ」
「がんばりすぎんでいいよ」


こうした大切な人のこんな一言で抱えてきたものが、なんだかどうでもよくなったり、そんなに悪くないのかもしれない……なんて感じたりした。

気にしていたのはわたしだけだったんだ。言うほど悪くなんてなくて。だからと言ってコンプレックスとなってたものが、いきなりすきになんてはなれないけれど。以前ほど自分の名前に対して嫌悪感というか、原因がわからない嫌な気持ちはなくなっていた。

きっと何気ない一言だったとおもう。わたしも誰かを救いたいと強く意識して、気遣う言葉を言うことはあまりない。それに、意識せずに何気なく言った言葉の方が下心なんてものはないからこそ、誰かを救う言葉になっていたりするもんだ。

救っていたとおもっていたときには、救われていることもある。言葉を紡ぐ仕事をしている以上、誰かの言葉に救われたように誰かを救う言葉を届けていきたい。そんな想いは3年前からなにひとつ変わってはなかった。

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