嘆きのシンデレラ
幼い頃から童話で読んだり、映像でみたりして誰もが知る物語、シンデレラ。
不遇に生まれたかわいい女の子が素敵な王子様に見初められてお姫様になる物語。誰もが一度は憧れて、シンデレラや王子様になりたい、と思ったのではないだろうか。
だが、物語の主役は簡単になれるものではない。
だからほとんどの人がそれを飲み込んで自分のできる範囲での主役を目指すようになる。そこに憧れや輝きはなくともみんなそれである程度満足して生きている。
だが、時たまその位置が我慢できなくなるときがある。
なんでわたしがこんなめに遇わなければならないのだ。
わたしはすごく不幸でかわいそうな存在だ。
もっと優しくされてもいいはずなのに。
誰か助けてくれてもいいのに、誰も助けてはくれない。
つらい。悲しい。
わたしはその時期を
嘆きのシンデレラ
と呼んでいる。
どういうことか。
あの物語にシンデレラの気持ちや王子様の内情は一切描写がない。
だからか客観的にみると、
特別な人に選ばれることで自分の価値が成り立つ
と、思い込みやすい。
もちろん、特別な人になりたい、と思うことは人が持つ普通の感覚だ。
承認欲求と言う名前もついているぐらいだから人を動かす原動力にもなれるぐらい大きいものだと思う。
だがそこに、自分の価値が入ってくると意味が変わる。
なぜなら、自分の価値は誰かに決めてもらうものではないからだ。
もし、誰かに自分を評価されたら 「自分の価値を勝手に決めるな」と感じると思う。
自分が努力して苦しんできた人生に点数はつけられない。
そう思うのが普通だと思う。
だからあれはあくまで客観で成立するストーリーであり
主観で見た時に成立するものではは絶対にないのだ。
でも、時たまそれをうまく処理できない時期がある。
ちょっとした悪いことが重なったり、
乗り越えたと思って安堵したときにまた悪いことが起こる。
…というようなタイミングが狂った時だ。
悪いことを乗り越えるのにはすごくパワーがいる。
予期しないストレスは普段以上のパワーを使う。そしてそれが連続したら大変だ。そんなに多くのパワーとやる気を普通の人は持ち合わせていない。エネルギー切れを起こして、体調がよくなくなるのは誰でも経験あることだろう。そこで回復の時間がとれたりリフレッシュすることができればいいが、大体の悪い出来事はそういう猶予をくれない。
その状態が続いたとき、人は嘆き始める。
周りの向かって喚きちらす。
これが嘆きのシンデレラだ。
先にいっておくが、これは心の正常な反応だと思う。嘆くこと事態が悪いことではない。周囲にわたしは限界です、と伝えているのだから。
人生の主役は自分であり、自分以外の人間は脇役だ。
だからこそ、主役の自分がなんでここまで辛い思いをしているのに誰もが助けてくれないんだ。そして特別な人に認められる資格はあるはずなのに、なんで認めてくれないんだ。
という気持ちになる。
そういう風になりたい、と思う人は誰もいないと思う。
だが、そういう気持ちは誰しも持ち合わせているのだ。何を隠そう、今実際そうなっているわたしがいるからこの記事を書いている。
ただ、やはりあまり気持ちのよいものではない。
ただただ苦しい。
そう思う。
だからこそ、残したい。
一番大事なのは自分が嘆きのシンデレラになっていることを自覚することを。
そして自分を責めないこと。
パワー切れを回復させるために燦々と日の当たる安全な場所で美味しいご飯と沢山の睡眠をとって問題と向き合わないことも時には重要なのだ。
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