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休職と私。

本当に突然。

倒れこむように休職を取った。

思えばずっと無理をしていた。吐き気が止まらなくなって救急車で運ばれたり、めまいで立ち上がれなくなって仕事を休んだり、お昼を取れば吐き気がこみ上げ昼食はそのままトイレの餌となった。

28歳。

20歳のころから今の仕事を始め、中堅社員として後輩の管理や仕事に尽くしていた中だった。

人生の中でそれなりに挫折も経験し、鬱も経験し、これ以上悪くなることはないだろうという人生のどん底から這い上がってきた矢先のことだった。

ようやく仕事の評価をされ始め、管理職になるためにどうしたらいいか、新たな提案ややっていきたいことが沢山あった。

朝、目覚めたら立てなかった。

起き上がろうと体を起こせば乗り物酔いに似た強いめまいが襲い、起き上がることもできずにベッドに沈む。これは無理だと有休の連絡を入れること数回。いつの間にか私の中にたまっていたストレスは限界に達していた。

「来週から休職をとって大丈夫です」

診断書を提出し、上司に言われたその言葉。感じた安心感は言葉にできないほどだった。どう頑張ってもうまくいかない、どんな薬を飲んでも体と心が重ならないそのもどかしさに自分自身が参っていたところだったからだ。

頑張り方はよく知っていた。…けれど、誰かを頼ったり、誰かに任せたり、そういう自分を少し休ませてあげること、自分の心の余裕が残るように余力を残して仕事をするという部分を自分は持ち得ていなかった。

そしてもう一つ。

これは私の特性が強い部分なのだが、私は自分が男ではないことをいつの間にか忘れていた。男性と一緒の仕事を行い、同じように過ごす中で同じように考え、同じように動き、同じように働かなければいけない、という風に勘違いを起こしていた。

生理痛がいかに酷くても、PMSでうまく頭が働かなくても、普通の人はそうならない。だからそれはすべて自分の管理が悪いのだ。そして、自分は女だから、かわいく美しく配慮ができて言われる前にすべてを察し、男性が求める女性像を完璧にこなさなければいけない。

それがこの社会で働く最低限の節度なのだと思っていた。

違うのだ。重ねて言うが私は男でない。

体が「女」であるから、生理前に体調の揺らぎはあって当然だと思う。女性同士で生理の話をするとほぼ100%の人がそれについて理解を示す。それは「女」という体を持った人たちの共通認識であって、「男」という体を持つ人たちには理解し辛いものだ。それはそうだろう、姿、形が違うものなのだから。

同じように「可愛さ」や「美しさ」についても、自分が求めているものだと勘違いをしていたがそれは違ったのだ。「男」に魅力的にみられるように行動しなければならないのではない。あくまで選ぶのは自分自身。可愛くなくても綺麗でなくても私は私。

誰かと比較して働かなくていい。平均値で働けなくてもいい。だから、あなたが持っている多角的な視点を使ってもっと表現をしてほしい。それが組織としての視野の広がりになり、新たな道を切り開く第一歩になると思っている。

この視点を今の社会は求めているし、実際そういう人が今後の「新しい世界」を引っ張っていくのだと思う。そういうことをわかっていながら、自分が求められているのを感じながら真逆の方向に行こうとしていたのだと思う。

認知が歪んだ結果、心と体が離れていったのだ、と今は感じている。

ここまでまとめてようやく、自分が今捨てるべきもの、新しく身に着けたいもの、必要なもの、方向性。そう言ったものが見えてきた気がする。

2020は転換期である。

それは今後どの時代の「私」が振り返ったとしてもそう考えると思う。

それならば。

どうせ転換期ならば、思いっきり有意義に使おう。

きっとそうすることが一番適切で適当で求められていることなのだから。

休職が終わったころには新しいもっと素敵な自分になれると思う。

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