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死ぬかも、あれから11年

3.11

死ぬまで毎年この日を思い出すだろう。


私の地元は『隠れ被災地』だ。

中学3年生だったあの日、
卒業式を数日後に控え、全校生徒で卒業式の予行練習中だった。

地震が起きた瞬間のことは思い出せない。

「逃げろーーー!!!」

先生が叫ぶ。

校庭に続く扉を目指して全校生徒が群がる。
泣き出す子、怒鳴る子、
どれも人間の本性を見た感じがした。

何回にもわたる余震。
横揺れ、縦揺れで立つこともできなかった。

「今日死ぬかもしれない」

ふと、頭の中に浮かんできた。
恐怖とはあの事を言うのだろうか。
中学生ながらにはじめて【死】を意識した。

幸いにも実家は少しの破損で済んだが、
隣町は海沿いであったため、心配になり翌日父と様子を見に行った。


言葉が出なかった。
本当に言葉が出なかった。

数日前まであった景色がなくなっていた。


毎年この時期になると震災が報道される。
そのたびにフラッシュバックし涙が出てしまう。

毎日を「今日が最後かもしれない」という気持ちで生きるようになった。
後悔しない日を送ろうと努力できるようになった。

退屈で、何もしない日は本当にもったいない。
時間なんてあっという間にすぎてしまうし、命はあっけなくなくなってしまう。

どう生きるか、どう生きたいか、
何がしたいか、何が欲しいか、


答えを出して生きていけるのは自分しかいない。

震災を経験して、自分を見つめられるようになった。

20220311.カロン

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