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アラサーADHDの中学時代まとめ

米粒です!

中学時代の残りのエピソードと

まとめを書いていきたいと思います!

遅刻

私がADHDなのではないかと思いはじめたのは

中3の遅刻エピソードを思い出した頃でした

もちろん当時はADHDなんて知らなかったし

自分自身が怠惰なのではないかと責めるようにもなったり

それから自分を守るために開き直ったりするようになりました

記憶にある中で

私が最初に遅刻をしたのは中3のときです

前の記事に書いた通り、特性はあったのかもしれませんが

小学校の頃は母親や学校側から遅刻なんてあり得ないというくらい早い時間に学校に行かされていましたし

中学生になっても遅刻ギリギリエピソードを除いては部活で朝練があったので校門遅刻などはありませんでした

そんな私は中3のときに初めて校門遅刻をし、

以降29歳の今でも遅刻やギリギリになる癖が抜けていません(むしろ悪化した?)

私の中学は8時半に校門をくぐらないと

校門前で待っている先生や生徒会の人に記録され

給食の時間に校内放送で名前を呼ばれるという羞恥プレイがあったので

遅刻はしたくありませんでした‥


そう、あれは部活をとうに引退した11月もそろそろ終わるという朝のこと

私は塾の宿題をギリギリまで夜に済ますタイプでしたし

もともと朝に弱かったので

いつも朝はギリギリに起きていました

そして私は住宅街の一軒家に住んでいたのですが

歩いて2分くらいのマンション世帯に住んでいた友達と一緒に通学していました

初めて遅刻をした朝はその友達と共々の遅刻だったのですが

自分たちがギリギリに家を出たことを忘れて

ゆっくり歩いていましたし

通学路に誰もいなくても

「今日誰もおらんくね?」

と言って校門で遅刻を言い渡されるまで遅刻だと気づきませんでした

ここまで読んでいただいた方はもうお気づきでしょうが

友達は置いといて

私は遅刻なのではないかという危機感と

学校まで〜分かかるという時間計算能力が

ほとんど無かったのです

そして私は遅刻をしてしまったのですが

その日の放送の時、たまたま教室がうるさすぎてクラスの誰も放送を聞いておらず、私の遅刻はバレずに済んだことが尚更私を遅刻常習犯にさせたのだと思います

そこでもし放送されて先生に口酸っぱく叱られていたなら

もしかしたら改善したかもしれませんが

私が思っていたほど遅刻で何も騒がれなかったので

むしろ私は当時

「ギリギリに颯爽と来る俺カッケぇ!」

と思うようになりました(病気)

長くなりましたが、

以上がその後の人生を遅刻常習犯にした私の最初のエピソードでした

卒業

公立の合格発表はまだだったものの、

私は無事?に中学を卒業しました

小学校の卒業式の日はみんな感動して泣いていましたが

私は感情が乏しいのか

少なくとも中学では全く感動した記憶がありません

私が中学の卒業で思い出すことは

kちゃんに想いを伝えることができなかった後悔です

女子中学生ってけっこう群れるじゃないですか?(決めつけ)

なので告白しようと思ったものの

明るい優等生のkちゃんの周りには常に女子が多く居たので

呼び出す勇気が持てませんでした

家に帰って卒業した事ではなく

振られても良かったから好きだと伝えたかった

という悔しさで布団をのたうち回りました

結局私は偏差値が平均程のR校(公立)に合格し

kちゃんは少しチャレンジした公立にまさかの落ちてしまいましたが

それでも私立のお嬢様学校で有名な女子校に行くことになったので

そこでも私との差を痛感しました

まとめ

かくして私の中学時代は

小学校のときよりも

忘れ物で苦労し

恋愛関係で四苦八苦し

卒業式でもチキンで想いを伝えることができなかったほろ苦い記憶です

しかしバカやったことは忘れませんし

受験時の追い込みの過集中は自分でもびっくりしました

なので成長はできたと思います


次回から高校編に行きますが

私の記憶上、ADHDエピソードは中学時代はほんの序章であり

高校時代あたりからひどくなっていきます。

高校編も更新次第どんどん上げていくので

これからもよろしくお願いします🤲

#ADHD #遅刻#告白#卒業

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