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『憧れ』になる前のサナギの部屋

高校3年生の2学期。

片田舎の工業高校に通っていた私は、地元の国公立大学に推薦入試で受かる努力をするか、県外の大学に進学するかの選択を迫られた。

専門学校を希望していた子も、だいたいそんな感じだったと思う。

私のいた学科は、工業高校のくせに高卒の求人がなかったので進学は必須だったし、私もまだ学生でいたかった。

ちょうどその頃。

私は仲の良かったクラスメイトの女子とトラブルを起こしてしまい、孤立した。クラスの男子もなんとなく空気を察して、私から遠ざかるようになった。

大好きだった友人との関係が壊れ、元々弱かったメンタルは完全に崩壊、夜眠れず、学校に行けなかったり、行けても気づいたら自傷の傷で保健室で手当を受けていた。

学校に通うことに関してドクターストップがかかり、自宅療養期間は100円ショップで買ってきた植物の種をプランターに撒いて育てていた。あとは、日向ぼっことお散歩……

受験前の高校3年生のとは思えない、隠居した老人のような生活だった。

家ではいつも両親が喧嘩していて心が休まらないし、強めの薬を処方されていたので思考は止まり「とにかくここにいたくない」以外は本当に何も考えられない状態だった。


そんな中迎えた、普通の高校生より早い受験期間。推薦入試は、2学期中に行われるので。

第一志望は地元の国公立の推薦。推薦なのに普通の試験もあって、私の学力では受かる見込みは薄かった。

第二志望は、たくさん取り寄せて積み上げた私立大学のパンフレットの中にあった、隣の県のよく分からない大学。後から気づいたけど、この大学、ものすごく山奥にあって不便だったんだけど、その時の自分にはそんなのどうでも良かった。

正直、大学に行くことができればどこでも良かった。自分の将来を考えることが出来ないほど、高校3年生の私の頭は思考が停止していた。

何校も一般入試で受けると受験費用と交通費がかさむので、いっその事、私大の推薦を滑り止めにしよう!という、予備校の先生だか担任の先生が考えた、なかなかありえないタイプの受験戦法だった。


第二志望の大学の推薦入試の日、前日も自傷で痛めた腕はボロボロで、制服の下の包帯の中ではじくじくと鈍い痛みを生じていた。

その痛む腕で、私は原稿用紙一杯に小論文を書いて、元気な優等生のふりをして、面接を受けた。

入試を終え、付き添いの母と駅へと向かう途中、学生用マンションの客引きをする女性に声をかけられた。

「見てみるだけでも」と、促されるまま女性の車に乗り込み向かった先は、どう見ても『団地』にしか見えない『学生用マンション』だった。

築年数もそれなりで、ボロいし、部屋も沢山あって共用部の廊下は蛍光灯が間引かれて暗いし、部屋の床はカーペットと畳という、明らかに今風では無い感じの物件。

ただ、エレベーターはついていて、住人は近隣大学の学生のみ、家賃もお手ごろ、管理人も常駐していて、コンビニも近いし、大学に徒歩で行ける数少ない立地の物件。

部屋は2K以上の間取りしか選べなくて、どう考えても一人暮らし用ではないのだけど、「お風呂とトイレは別が良い」と言ったら、間取りは2LDKしかないという。

春までにまた片道3時間以上かけて、物件を探しにこの街に来る元気が私にはないと思い、初めての一人暮らしは、ボロいけど無駄に広いこの部屋でいいや、と思った。

他の物件を一切見ずに決めてしまった部屋だった(万が一、第一志望に受かったらキャンセルできるとのことだったので)


結局第一志望は小論文と面接は受かったけど、数学以外の学力不足で落ちて、第二志望の大学に行くことになった。というか、大事な時期に勉強せずに植物の世話とかしてたんだから、第一志望にうかるはずがなかったんだけど。

休みすぎて卒業に足りない授業の出席日数の埋め合わせの補講のバタバタと、新しい生活という希望で、私のメンタルは春頃までにはそこそこ回復した。

引越しは、父親の車に、自分の私物と、母の会社の単身赴任を終えた人からもらった家電を載せて、例の『団地みたいな学生マンション』に向かった。


初めての一人暮らしは分からないことの連続だったけど、誰にも干渉されない、親の喧嘩も見なくて済む生活は気持ちが楽で、楽しかった。

多く作りすぎた味噌汁を冷蔵庫に入れ忘れて腐らせたり、洗濯したものを一晩洗濯機の中に忘れたり、無駄に味の薄い野菜炒めが出来上がったり、トイレを詰まらせたり……そのたびにあたふたしつつ、一人暮らしに順応していった。

部屋も広かったので、生活スペースと寝室を別にすることが出来た。その後の人生でもありえないくらい、この部屋の間取りは贅沢で、居心地はよかった。今の私からしても、あの部屋は羨ましい広さだよ。

部屋の内装はボロボロなので、実家とそんなに変わらないなぁとは思っていたけど。壁紙も雑に張り替えられてたし、なんだか見たことない虫が部屋の中を歩いていたけども。

下調べをしなかったせいで、自分の住んでいた田舎とさほど変わらな田舎に引っ越してきてしまったわけで、街に出ても特に何も無かった。

高校在学中に車の免許を取れる状態になかったので、原付の免許だけ取って、現地で買った原付きで買い物やアルバイトに出かけた。田舎すぎて、自転車で移動できる距離にあるものが少なすぎたのだ。割と過酷な場所だった。

(田舎の高校では、就職が決まった人や受験が早く終わった人は、放課後学校へ迎えに来るバスで自動車学校へ通い、高校在学中に車の免許を取るのが一般的)


ただ、大学の講義は、一般教養は普通だけど、専門科目が壊滅的につまらなかった。

新設学科だったこともあり、先生たちは専門分野では無いようで、講義は教科書を読み上げるだけ。正直、高校の工業科目の授業のほうがよっぽど専門性が高かった。

同じ学科の女子は全員が自宅通学で、一人暮らしの困り事あれこれを共有できないし、仲良くなるための共通点もなかった。そのうちの一人は、当時私が付き合っていた彼氏をあからさまに寝取ろうとするので、自然と学科の女子たちとは距離を置くようになった。

本当は、仲良くキャンパスライフを送る、同性の友達が欲しかったんだけど……うまくいかなかった。


大学1年生の後期には、大学に行くことが完全にめんどくさくなって、大学からは足が遠のいて、毎日ネトゲの世界とアルバイトに逃避していた。

多分、この時、また心を病んでいたんだと思う。当時自覚はあまりなかったけど、後から考えると、そうとしか思えないことがいくつかある。


そんな中、何件目かのバイト先で、別の大学に通う3人の女の子と仲良くなった。みんな、地方から出てきた同い年の一人暮らしの大学生という共通点もあったし、コミュニケーション能力が高くて、こんな私にも親しげに接してくれた。

そのうちの一人の子の部屋で、みんなで宅飲みをすることになった。思えば、男子の先輩の部屋で複数人での勉強会や飲み会をしたことはあったけど、一人暮らしの女の子の部屋に行くのは初めてだった。

まるで童貞の男子のようにめちゃくちゃ緊張しつつ、差し入れのお酒を持参して友人の部屋を訪れると、そこは私の部屋とは全然違う『女の子の部屋』だった。

床一面のフローリングに一間分の大きさの窓、狭いキッチン、その向かいにあるバス・トイレ。どこにでもある、ありふれた1Kの間取りだけど、私は自分の2LDKの部屋しか知らなかったので、新鮮だった。

部屋のカーテンやベッドのシーツは暖色系でまとまっていて上品さがあり、カラーボックスに収納された教科書や本からは知性があふれ、その上に飾られた写真立ての写真は彼女の交友関係が見えるし、小物も雑貨屋さんのようにセンスが良かった。

部屋のローテーブルには、友人が作った、彩りの良いサラダや私には作り方が想像できないパスタ、片手でつまめるオシャレなおつまみが並んでいた。


女の子の一人暮らしは、こんなにもコンパクトで、こんなにもオシャレになるのか……と衝撃を受けた。


ぶっちゃけ、その頃の私は一人で2LDKの部屋を持て余していた。当時の彼氏に「片道2時間半の通学時間もったいないし、ここに住んだら?」と何度か打診したものの、「どうしても家に帰りたい」と拒否されていた。

だから、無駄な空間はいっぱいあった。その空間によく分からないものを置いてしまい、広いのにごちゃごちゃしていた。

畳の部屋の布団も、定期的にちゃんと干さないでいたら、カビが発生した。同じ『女子大学生の一人暮らしの部屋』のはずなのに、全然違う。


私もこんなちょっとオシャレな部屋に住んで、友人の女の子のような大学生活を送りたい。


そう強く思うようになった。

その後も他の子の家に行ったりしたけど、女の子の部屋はどこも綺麗で清潔で、可愛らしさがあった。

そこから、自分で好きな部屋に住む方法を自分の頭で考えて、行動にうつし始めた。大学選びや物件選びも、考えて決めることが出来なかった私の頭が、このとき、ようやく思考をはじめた。


まず、ほとんど行ってなかった大学をどうにかする方法を考えた。

大学に男子の友人はいたので、女子の友達を無理して作らなくていいと前向きに思えるようになった。彼らの中の数人は、10年たった今でも飲み仲間である。

つまらない講義を受けなくて済むように、転学科という方法を見つけて、どうにか大学に行くことができるように環境を整える事にした。

バイトも頑張って、通常は女の子にはやらせない、汚れる仕事や力仕事もこなしてスキルアップをして、敷金・礼金・引越し資金を自分で貯めた。

引っ越す予定の数ヶ月前から、不動産屋を訪れ、住みたい部屋を探した。自分の理想に近い物件を見つけたものの、残念ながら満室だった。

引越し先の選定に本腰を入れようと思い始めた頃、不動産業者のお兄さんから「希望していたアパート、2階の角部屋に空きが出ましたよ!」という、渡りに船すぎる連絡がきた。

私が憧れた、コンパクトな1Kの部屋で、オートロックとモニター付きインターホンまであった。

大学も、留年確定だけど転学科の許可が下り、つまらなかった大学の講義を受ける必要がなくなった。全く知らない分野の講義を受けることになり、それはそれで興味深くて楽しかった。


母親の車の買い替えに伴い、古い車を譲り受けていたので、私物の引越しはその車で。

家具は家具だけ運んでくれる安い引越しパックで。


住む人が私の時点で部屋は全然オシャレにはならなかったけど、少なくとも畳にカビが生えたり、変な虫が住み着いたり、余計な空間に余計な物を置いたりすることはなくなって、理想に近い部屋になった。

自分でやりたいことや住みたい部屋を選びとってから、なんとなく上手く人生が回るようになっていて、自分で自分の身体を傷つけることもなくなり、夜も薬なしで眠れるようになった。

前に住んでいた『団地みたいな学生マンション』は、そこに至るまでの葛藤とか自分の未熟さを詰め込んで煮つめた、『サナギの部屋』だったように思う。


そこから羽化したあとの学生時代の残り期間、蝶のようにめいっぱい羽ばたいて、とても楽しく過ごすことが出来たのだから。



写真:フリー素材ぱくたそ(pakutaso.com)

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