【小説】花の色も

2021年11月、古典の講義の中間課題として執筆。お題は「百人一首から一首選び、本歌取りをして小説または短歌を制作する」。本歌は小野小町の「花の色はうつりにけりないたずらにわが身世にふるながめせし間に」です。
当時ちょうど、歳を取るのって怖いなあと考えていた時期でした。

 風の音かと思ったけれど、違った。視線を向けた窓ガラスには大粒の水滴が散っていて、今日に限って天気予報を確認せず仕事に来てしまった自分を恨めしく思う。出勤したときには晴れ渡っていたのが噓かと思えるほどの大雨だ。私の休憩時間が来る前に、きっと傘は売り切れてしまうだろう。

 私の勤めている店舗からは、近くの中学校や高校に通う子どもたちが利用する通学路がよく見える。川沿いの見事な桜並木が有名な場所で、少し前の時期には観光客も多く訪れていた。もう葉桜になりつつある中で健気に残っていた花も、今日の雨でお役御免となりそうだ。

 それを、もったいない、と私は感じる。日本人みんながみんなそうではないと思うけれど、たぶん大半のひとが、桜、梅、椿……花でなくても雪とか蛍とかそういうものに美を見いだす感覚が根づいている。そしてそれらはだいたい、その真っ盛りな状態とすっかり色あせたり消えてなくなってしまったりした状態との対比のセットで愛でられている。形あるものだけじゃない。愛情や友情、ひとの心や命そのものだってそうだ。その儚さがいいとか、なくなってしまうものだからこそ価値があるとかいう。私はその気持ちを、理解できた試しがない。

 もしかしたら流行りの歌の歌詞に便乗して、わかるわかるとうそぶいたことなんかがあったかもしれない。ううん、昔は本当にそう思えていたのかもしれない。でも今は──

「ちょ、早くして、オバさん」

「あ、申し訳ございません……」

 女の子の声で我に返った私は慌てて会計の作業に意識を戻す。いけない、ぼうっとしてしまっていた。私のことを急かすのにちょっと棘のある声を出した女の子は、今はけろりとして腕を組んだ男の子ときゃいきゃい笑ってお喋りしている。

 年ごろの子らしいラインナップの商品を袋に詰めてゆく自分の手をふと見つめる。何もケアしなくてもきれいだったはずの白い手は見る影もなく、しわの増えて赤らんだ手。左の薬指の指輪はもうつけていないのに、跡だけが未だ消えずに残っているのがなんだか滑稽だった。

「ありがとうございました」

 自動ドアに向かう女の子の歩みにひと呼吸遅れて翻る艶やかな黒髪とスカートの裾をつい目で追ってしまって、無駄な自己嫌悪に陥る。変化すること。衰えること。いくらもったいないと思っていても、そのままでいることを望んでも、結局は移ろってしまうのだ。その証拠に、私の心も見た目も、何ひとつ変わらずにいられているものなんてない。

 いつか失われるものを愛でるのはこの虚しさを紛らわすための言い訳なのじゃないか、なんてバカなことを考えて、思わず笑ってしまう。でも本当にそうなら、その気持ちも少しはわかることができた、気がした。

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