死を心待ちに生きる。誰が何と言おうと、これが私の生き方だ。


自分が死ぬとしたら、それがいつであるかはさておき、きっと母と同じ大腸がんか、他の大病が原因の可能性が極めて高いんだろうな、と、中学生くらいからだろうか、そんなことを漠然と思いながら生きてきた。

だからこそ、あえて、健康診断も人間ドックも受けず、「20代になったら1年に1回は検査を受けるのがベター」と医師から言われた大腸の内視鏡検査も一度も受けず、隔年で届く子宮頸がんのワクチン無料接種の案内は封も開けずにゴミ箱に投げ捨てている。

何かの病になって、自覚症状が出始めてもある程度放っておいて、極限になってようやく病院の世話になろうと思う。
「長くて1年です。」なんて言葉を真っ白な病室で宣告されるのが、私が思い描く、最高に幸せな晩年だ。


生きたくても生きていられない人が大勢居る世の中で、なんて愚かで罰当たりな生き方なのだと、多くの人は思うはず。
そして、私から離れていくかもしれない。

それでいいと思った。それしかないのだと思った。
だってそうでないと、私は前を向いて生きていくことが出来ないのだから。

あと、何年後だろう、何十年後だろう。
それとも案外、明日なんだろうか。

誰もが忌み嫌う“死”を生き甲斐に、
私は生きていく。

これが、私の第二の人生の在り方だ。
これが、私の生き方だ。

今日は、新しい船出について。
そんな話でもしようと思う。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「死にたい」という感情しか頭になかった最もつらい時期が、真夏の暑さといくつかの台風とともに、ようやく過ぎ去った。

家からほとんど出られない1か月間を経て、遠かれ近かれ少しずつ外出する機会を増やして過ごしていると、気が付いたら夜風にほんのりと秋の匂いがしみ込んでいた。


そんな現在、ようやくいくらか前向きになり始めつつある。
厳密に言うと、これは別に、「前向き」ではないのかもしれない。
かといって、「諦め」と称するには、あまりにエネルギーに満ち満ちている気もする。


今までの私には、こんな考え方は出来なかった。
ずっと、呪いみたいに縛り付けられていた、縛り付けていた。自分で自分を。

そんな人生から、ようやく解放された気がする。

11年間にも渡って自分を苦しめていた呪縛みたいなものから、私を解放してくれた、異物にも等しい新たな考え方と生き方に辿り着いた今の境地。

これは多分、“悟り”に近い。

今の私は、生きたくて生きているわけじゃない。
死ねないから、仕方なく生きている。

頑張って死のうともした。
それでも死にきれなくて、私は今、生きている。
本意か不本意かと問われれば、それはもう紛れもなく不本意に値する。

自殺未遂から1年半の期間を経て、昨今の自分に沸きつつある新たな考え、そして生き方。

死ねないから、死ねるその時まで、仕方ないから生きる。
天から定められた寿命を、死ぬその時を、ただ心待ちに。
自分の命が燃え尽きるその日は、私にとって、救いだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


じゃあその日まで、私はどう生きていくか。

それはただ、終活の毎日だということ。

学生の頃に作った、残りの人生でやりたい100ことリストをアップデートして、100個なんてちゃっちいことを言っていないで、残りの人生でやりたいことリスト(数は未知数)を改めて作っては、それを片っ端から片付ける。

全ては、満足に死んでいくため。


ようやく死ねるその時に、それが例えどれだけ早い死で、「あいつは早死にで可哀想だった」と周囲が囃し立てても、私が望んで止まないその日、自分の元に死神の姿が現れるその日に、どうか、私がそれまでの私の人生を、心の底から誇れるように。


死ねないから、仕方ないから生きていくしかない。
死ねないから、寿命を待つしかない。

でもどうせ、寿命を待つ、つまりは生き続けるしかないのなら、やりたいことを片っ端からやり尽くしてやろうと思う。


これからは、生きるために生きるんじゃなくて、
死ぬために生きる

生きた先にあるのは、そこで私を待っているのは、
それは誰しもに共通することだけれど、私ほど死に目掛けて一直線で生きていく奴はそうそう居ないだろう。

死のうとしたのに死ねなかったことをつらいと思ったり、生きていることを苦にして生きる人生は、もう終わり。

私が人生を全うするその日まで、寿命が尽きるその日まで、誰もが恐る死を生き甲斐に、私は生きていく。

27歳を目前にした秋の始まり、スタートを切った。
あまりもエネルギーに満ちた、終活の始まりだ。

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