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人生のプロセスは完璧(途中経過編)

4月の終わりぐらいにメンタル激落ちして食欲もなくなった。
あれもこれもまともにできない自分はなんなんだろうと毎日誰かと比較しては苦しみ、今日こそ帰ったら包丁でお腹でも刺して死のうと思うんだけど、まあそんなことできなかった。

それでもありがたいことにゴールデンウイークに入るのもあり、死ぬならやり残したことやって死のうと思った。
そこでいくつか思い浮かんだうちの一つが「誰かと生きる世界を知る」だった。
誰かというのは特定の誰か。要するに恋愛もしくは誰かをパートナーにする/なるをちゃんと経験してから死のうと思った。
誰かと生きるって面倒なことだから避けに避けてきたし、実は負けず嫌いだから他人にコンプレックスや短所を見せるのが嫌で嫌で逃げてきたんだけど、死ぬならそれをちゃんと知ってからでもいいのかなって思った。

じゃあどうする?って話で、一番早い方法を考えたときにマッチングアプリを使おうと思った。小さな頃から「顔や本名を載せてはならない」とネットマナーを刷り込まれて育ったから、未だに顔載せるのが怖い。まじで怖かったし今も怖いけど載せた。
ちなみに入れて一番最初にしたことは写真やプロフィールを充実させることではなく、知り合いと思しき人たちを探して先行ブロックです。お互いのためです。

開けばびっくり、世の中には恋をしたい人がこんなにもいるのねという現実を知ることになった。
なんなら登録したてで自己紹介も書いてないし写真も無い「人間の女を自称しているだけの者」に対して「いいね」が来る。正気?
そういう気を確かにしていない人を除いても、お話ができそうって思う人は実際のところ全然いないと感じてしまった。
ちゃんと印象よく見られる写真を選んでいて、まともに話ができそうな雰囲気があって、何か少しでも共通項があるかを中心に見てたんだけどびっくりするほどピンと来なかった。

自分の第一印象になる写真をどうしてトイレで自撮りするんだろうとか、「よろしくお願いします」の一文しか書いてなくてなにをよろしくすればいいんだろうとか、「仕組みが全然わかってないけどよろしくお願いします」って書いても特に良いアピールになるとは思えないんだけどとか、「○年付き合った人と別れたので始めました」って書く人は一途アピールにしても冒頭にいきなり書くと重いですよとかいろいろ思ってしまう。
身長とか学歴とか年収とか割となんでもいいと思ってるけど、今書いたようなことは悪い意味で引っかかってこの人無いなって思っちゃう。でもきっと自分もいろいろ思われているんでしょうね。

そんな中で紆余曲折あり、二人ほど食事に行った。
二人は似たような仕事だった。出会いの少ない職種なんだろうね。
一人は文字のコミュニケーションが盛り上がらなくしんどいなと(たぶん互いに)思ったけど、ご飯に誘ってもらって実際に話したら思ったより話せた。でもなんか違うなと(たぶん互いに)思ってさよならした。

もう一人は文字のコミュニケーションでも盛り上がる人だった。
互いの理解が浅い中でのメッセージのやりとりって基本苦痛だし、相手のこと全然わからないのに相手が受け取りやすいボールを投げるのはすごく難しいから今までの人生でつらいとしか思ったことなかったんだけど、楽しさも感じられることってあるんだなと思った。
結論、何回かオンラインでも話したし、実際に会ったりもしたけど突然連絡切られたので終わりました。
会ったらなんか違うと思ったけど我慢してくれてたんでしょう。
付き合うよりはまず友達になれたらと私は思ってたけど、執着する前に終わりにできてよかったと思う。
一ヶ月ぐらいだけど、なんかいろいろ生き方とか考え方とか愛され方とかを学ばせてくれた人だった。
グッバイ、君の運命の人は僕じゃないって感じですけれども。いやでもいやいや、いろいろ学ばせてもらったからある意味運命だったのかもね。
一生一緒に過ごすタイプの運命では無かったというだけで。こういう普通に生きてたらありえなかった偶然の出会いもおもしろがれる人でありたいね。グッバイ!

この一ヶ月いろいろ経験させてもらう中で、死にたいと思っていた気持ちに対して、自分で答えが出せた。
弱い自分がいるなら弱いまま、痛みがあるなら痛みがあるまま生きていいし、なんならそれも抱えて生きるのが強さだと。そう気付いたらすごく気持ちが楽になった。
とはいえ、ここに至るまで、気持ちの切り替え方法をいろんな人に聞いてもどれもしっくり来なかったし、まるでそれができない自分が悪いと言われているような気持ちになって余計にへこんだりしていた。
でもダメな自分も抱えて、ときに苦しみ、死にたくなりながらここまで歩いてきた自分をもっと誇るべきだと思った。
超絶不器用だけど我ながら自分が愛しく思えてきたよ。だからそろそろ誰かと幸せに生きる世界が見たいです、神様。まだダメかなあ?

でね、まだあるんだ書きたいこと。
昨日、友人の結婚式に出席させてもらって心が浄化されたしめちゃパワーをもらった。
友人は大学時代のとあるグループが同じ仲なんだけど、めちゃ優しくておもしろくていい人だし、奧さんは初めて会ったけどめちゃ優しそうでかわいくてなにより人生を楽しく生きてそうだった。
そして同じグループの友人たちもみんな素直に喜んでて幸せ空間だった。

今までだったら友達と自分を比較してどうせ自分はこんな幸せになるの無理だしって思ってただろうけど、そうじゃないって思う。むしろこのサイコーの友達たちに愛されてる自分もそうなれる気がする。
結婚はゴールだなんて全く思ってないし、そこにこだわる必要はないと思っているけどめちゃ良いビジョンを見せてもらえて幸せです。

人生のプロセスは完璧らしいです。
どんなに不幸だと思うことがあってもそこには何かの意味があって、その先に何かをもたらすためにそのタイミングで起こっているのだと。
その渦の中にいるときはうるせー知らねーって感じるけど、きっとそうなんでしょう。
無理してそう思う必要は全くないけど、そう信じてみようと今は思ってます。

ここで私が愛するポルノグラフィティの宣伝です。
「見えない世界」って曲の歌詞が、今回私が気付いたことに深く影響を与えてくれたのでぜひ聞いてくださいね😉リンク貼りました!
影響というかほぼ答えだったんですけど。
初めて聞いてから15年以上経ってメッセージを受け取れたので今まで何聞いてたのって感じだけど、成長したってことでいいんです。
それが音楽を聴き続けることの醍醐味だし、プロセスは完璧なので😉てへ

想像を超える現実は少年を大きくさせる
どんな痛みも共に連れて歩いてゆける
少年が描く理想は月のようにカタチを
変えてゆくけどずっと空にはあるのだから

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