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立場を利用した性犯罪。

この事件は書かないでおこうと思ったけれども、水井さんが監督や師匠と言う立場を利用した性被害に遭ったということを知り、私もこれは記事にしようと思い、背中を押していただいたような形で記事を書きます。

立場を利用した性犯罪と言うものが存在する。
私は数年前に高校時代の担任の懲戒請求を県教委に読売新聞の記者の方に力を貸していただいて行った。
結果的に、加害行為から10年以上が経ってから懲戒免職処分となった。(県教委との話し合いで、詳しい時期を書くと特定の恐れがあるので8年以上前と発表する旨で合意した)その時、当時の担任は教頭と言う管理職になっており、私はあの時「なぜあんなことをしたのか」ということを聞きたくて、友人から電話番号を聞き電話を掛けた。
しかし、出勤の時間だったためか「おー、久しぶり」と言うだけで何も聞けず、同級生だった子が高校教師になっており、その教師の学校で勤務していたので「私は、〇〇先生を告発したい」と言うと「当然、そうするべきだと思う」と。刑事告発の時効はとうの昔に過ぎ去っているので、と考えたとき「公務員の身分を有している間はその期間の行為で処分される」と言うことを思い出したので、毎日新聞と読売新聞の社会部の方にメールを送って
「協力していただきたい」とお願いした。
毎日新聞の方からは連絡がなかったが、県庁を出入りしている社会部の読売新聞の記者の方からコンタクトがあり、カフェで話をした。
その方から、告発をしてもらい、後に県教委から連絡があり聞き取りとなった。それと並行して心配していたのは、当時のしかも10年以上前の行為を本人が認めるかどうかにかかっていたので、私は認めないだろうと思っていたが、校長が聞き取りをしたところ「やりました」と言ったため、管理職を解かれて、県教委に移動となった。

「どうして今、告発をすることにしたのですか」と言う質問をされたときに、「私は、あの時の自分が相談できる人が担任しかいなかった。実家の状態は悲惨で初めは「大丈夫だよ、力になる」と言ってくれていたのに、どんどんと性的なことになっていった。そこに抵抗するだけの力は残っていなかった。被害に遭ってから、ほかの教師にも「こういうことがあって、助けてほしい」と相談したけれど「宴会の時に、言っておいたからな」と言われたり、「相談に乗るから、お寿司好き?遊びに行くついでに話を聞くよ」とあからさまな下心を出してきた教師もいた。その時に「相談するだけ無駄なんだ」と言う気持ちしか残らなかったからです」と。毎年、私は職員の異動を見るのだけれど、管理職になったことを知って、ずっと「これはおかしいことだったんだろう」と言う気持ちと、今では「性被害者を出してはいけないと、加害者であるのに言っているのだ」と思うと余りにも合点がいかないとおもったからです。」と答えた。

私以外に、もう1人の同級生も同じような被害に遭っており、私はその学校を離れた後も続いていた。恐らく、その担任は「やっていない」としらをきるつもりだろうと思ったけれども、実家にあった携帯電話を持ってきて、充電ができなかったため、メルカリでそのバッテリーを持っている方から購入をしその際に「もし可能であれば、充電を一杯にしてから送付してほしいです。無理を言いすみません」と頼んだ。

案の定、当時のメールが出てくるのでそれを写真にとって、県教委に証拠として提出をした。私は高校生の頃からリストカットやオーバードーズが止まらなくなってしまい、「絶対的におかしいのだけれど、おかしいといえない、もう何もよくわからない」と言う状態だった。

懲戒請求をしたころに、娘さんのSNSを見つけてみていたら、恐らくその件で新卒で入った会社を辞め、遠いところ引っ越し結婚をするというような内容だった。当時、担任は「娘にはね、いい大学に行かせるんだよ」などと言っていたなと思い出して、「娘がもし同じ立場だったらと考えなかったのか」などをとても強く思った。

県教委が謝罪しているところをテレビで見て、担任の名前が出たときに私は、間違ったことをしたのかもしれないと思ったけれども、自身がされていたことは紛れもない性犯罪で「刑事罰は時効のため無理であっても、公務員の身分ならば可能かもしれない」と思い、今とは違うカウンセラーに告発を考えていると相談した。                       そのカウンセラーからは「辞めておいた方がいいと思う、過去のことだから」と言われたけれども、自分の左手首に残っているリストカットの跡を見るたびに「当時の自己嫌悪と言うものを思い出す」といい、突っぱねての行動だった。同じ女性のカウンセラーだったけれども、加害者の肩を持つような発言であるとか、私自身に問題があったのではないかと言う言葉をかけられたりしたので、最終的には退職されたので、違う方にカウンセリングをお願いした。その際に「カウンセラーが〇〇さんを悪化させた部分があると、記録を読んで思いました。傷を開いたら縫合する義務がある心理士が、それをしなかったこと。今まで、その怒りの感情を向けずにいたことは耐え難いものだったと思います。代わりに謝ることしかできませんが、これからは必ず傷を開く必要がカウンセリングにはあるけれども、縫合して返します」と仰ってくれた。

各社新聞を報道の日に購入し、読むと

「生徒の真っ当な成長を阻害した、申し訳なく思う。」            「相談に乗っているうちに放っておけなけなくなり、結果こうなった」と言うことが書いてあった。

私は、担任の番号にメールを送り「私は、リストカットするほどつらかった」と送ると「俺が今から手首を切る」と返ってきた。一体何なんだろう、この人はと思ったけれれども、家庭がある身で教頭まで出世してあと数年すれば退職金が3000万もらえてと言う環境が一気になくなり、仕事も見つからないと。それはすべて、自身が招いた結果でしょうと思ったので同情するところはない。「会って謝罪がしたい」と言われたけれども、断った。

それから、県教委に「教員の性犯罪を防止するリーフレットを弁護士や心理士たち外部の専門家と連携して作り、再発を防ぎたいので「〇〇さんに手記を書いてもらいたい」と依頼があった。私は、快諾してどうしてこのような状況が起こってしまったのかの起承転結を手記にして、その県のリーフレットに掲載され管理職だけでなくすべての教員の手に渡ったそうだ。

当時相談した友人に「〇〇先生のことで、〇〇君や学校に迷惑をかけて申し訳ない、本当にごめんね」と伝えると、「大丈夫、〇〇ちゃんは間違ってないから、絶対的に立場を利用した〇〇さん(担任)が悪い」と言ってくれたことは今でも助かっている。

教員の免許の失効を職業選択の自由から復活させるというようなことが報道されたりするけれども、戸籍を変えてでも性的欲求を満たすために教員として採用され、また逮捕されるという事件も起きている。今は、40年前まで遡って処分状況等が分かるようなシステムになったけれども、毎日のようにどこかで教師と生徒・児童と言うパワーバランスを利用した性犯罪が行われている。

子どもにとって家庭と学校を行ったり来たりする、その2つが世界のすべての中で頼れる大人がいたら、「助けてくれるかもしれない」と思い、精神的に頼ってしまう部分がある。教師は成長を阻害しないように、個人を尊重して問題を解決する手助けをするべきであって、その気持ちが性的なものになっていくということは、おかしいことなのだ。私は、立場を利用した性犯罪と言うものは、どこの世界でも起きていると思う。以前に記事にした、職場でのセクハラ問題であったりも然り。私は「人の尊厳を奪ったならば、それ相応の罰を負うべきで、罰を負う覚悟でしていると思っているので、労働組合に相談して、警察、弁護士にも相談します。」と私が所属していた部署の上司に言い、結果的に加害者は役職を解かれて、減給が続くということになった。

以前に「社会的に殺す」がスローガンのような人間と書いたのは、そういう意味なのだ。

加害教師の処分が報道されたとき、某大型掲示板では「金が目当てか」とか「今更、なんやねん」「同意の上だったんでしょ」などと書かれていた。見なければいいものなのだが、成人であっても立場を利用した性犯罪が起きていて、拒否をする逃げるということが難しいのに、それが世界が家庭か学校かと言う状態で精神的に正常な状態でなければ「拒否して、逃げる」と言うことは半分「死」を意味しているようなものだと感じている。少なくとも、私は担任に恋愛感情も抱いていなかった、手記にも書いたけれども大人と言う、さらに成績などを握っている教員が生徒や児童をマインドコントロールすることは簡単なことだと。恐らく、記者の方や県教委の方が言っていたように「氷山の一角の一角だった人たちが声を上げ始めたことに価値がある」というのは仰る通りだと思う。

このことは、主人にも言っていないで内密にした行為なので、もしも主人がこの記事を読むことがあったら非常に怒りに駆られると思う。しかし、それが現実であり消し去れもしない事実なのだということしか私は言えない。そういった被害にあった人間は「自分には生きる価値がない」「自分は汚れた」と言うような気持になり、自らの自傷行為や自殺行為によって、    自身の「価値」と言うものをこき下ろすことで、「被害に遭って当然の人間なんだ」と合理化しようとする部分がある、これは心理的に言えば防衛機制であって、今の私は「自分に価値がない」と言うようには思わない。それは、どうであっても声を上げて「犯罪被害者(性犯罪のみでなく)のおかれている現状を感じている当事者としての声を上げることが出来る」のだ。

障がい者の方々の法案を決めるとき「私たち当事者を無視して決めないで」と言う言葉を聞いたことがある。ある政党の方が(私は特別な支持政党があるわけでなく、言葉としてよいと思ったので記します)

「障がい者のプロはその当事者である」と言う言葉。

犯罪被害者のプロは、実際に犯罪被害に遭った当事者やその家族、ご遺族なのである。私たちのその声を無視して、「これでいいでしょ」と言う形で法律を決めないでほしい。支援と言うものは、想像で作り上げていいものではなく「必要としている人の声」によって骨子を作る必要があると思う。その一助にとして辛い思いをしながら、犯罪被害者の当事者の方、ご遺族の方が日常生活をも犠牲にして作られてきた今の状態からブラッシュアップするためにも、行動と言うものを控えていては、時が流れるだけで何も現実は変わらないままだと思う。犯罪の性質には様々なものがあるので、私は性犯罪に限っての活動ではなく、犯罪被害者の権利拡充と更生施設の問題点を変えるべきで、人権と言うハードルは確実にあるがそこを超えてでも変えなければいけない部分は変えていくべきだろうと思っている。

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