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自首をしたのに逮捕をしないで傍観する警察が公共の安全を守っているという戯言。

性犯罪の被害に遭った被害者が、被害届を受理されない、受理してほしいと言うと「まかせてください」と言うだけで、いつごろになるなどの時期も示せないという時点で、事件の大きさによって取捨選択をしていると言わざるを無い。

昨日、Twitterのスペースでお話を聞かせていただいた方が、レイプ被害に遭って加害者のメンタルケアや加害者が望む相談が出来るグループラインまで作って、再犯を出さないようにしているという現状を聞き、遺憾の意を通り越して怒りでしかない。

加害者が「自首」をし、ラインのスクリーンショットなどの客観的証拠もあるに関わらず「証拠・資料を集めている」と言うのは一体、他になんの証拠を集めるのだろうか。その自首の時点では、被害者側は証拠保全が出来ている状態ではない(被害に遭った時の状態ではないということ)当然、入浴もするし、洋服を洗濯する。それが、事件発生直後であれば指紋や繊維片、DNAを採取するなどで物理的な証拠を集める必要があると思うが、単純に警察は「時間を延ばして、何ならば被害者がこれ以上何もいってこないことを恣意的に考えている」と言うようにしか取れない。

加害者が逮捕されない理由として考えられることは、

・逃走の恐れがないため

・証拠の隠滅などの可能性が低い

・民事間の紛争と警察は見ている

と言うこの3つくらいしか頭に浮かばない。

犯罪捜査規範61条には「被害届の受理については、警察は犯罪行為による被害を届出するものがあったときに、その届け出に対する事件が管轄区域の事件であるかないかに関わらず、それを受理しなければいけない」と規定していて、警察の受理義務を内務規程に定めている。

しかし、これは職務上の「内務規定に過ぎない」から、この61条に違反していることを法的根拠にして、市民が被害届を確実に受理しろと求めることとはできないという点に問題がある。

と考えると、被害届は「被害があったという申告」にしか警察にとっては過ぎず、大きな事件だと判断し取捨選択して大きいとなれば、捜査をするというだけであって、そうであるとすると警察は「これは被害として小さいから、受理できない、受理しても後回しになる」とは言えないから言葉として濁すしかない。

その反面、「告訴状」になると「厳罰を私は求めている」と言うもので、捜査機関(警察・検察)は告訴状を提出されたらば、検察官に書類を送付したり、起訴をしたかどうかの結論を通知する義務が刑事訴訟法242条、260条で定められている。

が、いつ捜査を開始するかと言うのは捜査機関の努力義務というところで結局のところ長引かせる可能性があるのではないかと考えると、弁護士と被害者が同行をして口頭調書ではなく、書面で提出することが一番良いと思う。警察は、弁護士が同行したら態度が一変する。性被害者を被害者ではなく、弱者として扱っているから、本来であれば被害届で迅速に捜査され、送検されるべきところをなあなあにしているという感覚が否めない。

加害者の謝罪と言うものが「真摯な心の底からの謝罪かそうでない」は本人しかわかり得ないが、形式的にでも自首をして反省の感情が強いと警察官を思わせることが出来たら、加害者は逮捕もされず、検察からの呼び出しもされないと考えると、いくらなんでも「自首」をもって、悠長にやっていていいのかと思う。

時間が経てば経つほどに、加害者の感情であるとかも変わっていくし警察に身柄を拘束されているわけでもなく、何の処罰も受けていないことで、さもこの事件や加害は許されたと錯誤してもおかしくないのである。

被害届が提出されても放置するケースは相当に多いし、それが暗数を作り再犯させ、新たな被害者を生んでいるという点を警察は考えるべきである。確かに重大な犯罪と法的視点で取捨選択できるかもしれないが、被害者にとっては性犯罪の被害に遭った時点で身体には見える傷を負っていないかもしれないが、精神的な傷を負っているのは間違いないと思う。警察は、起訴猶予処分になると思うからと言う根拠を持ち出して被害届を受理しないケースも存在している、それを決めるのは警察ではない。被害者が被害を申告するというだけでも、どれだけの勇気や痛みを伴っているかということ、市民感情に寄り添えておらず事務的に進めやすく大きい事案を優先するのは、感情論になるがあまりにも残忍である。

被害届の不受理を警察の怠慢として公安に報告をしたとして、内務規定に過ぎないと警察が判断したら、結局のところは何も変わらないという形になってしまう。

1人で警察組織に立ち向かうということは本当に精神的にも時間的にも散々に嫌な気持ちにされ、待たされるということが往々にして起きている。中にはひどい警察であれば「その時に怪我でもしていたらねぇ」と暗に、性被害単体では軽いかのような言い方をする。目に見えていないから損なわれたものがないかのような態度は絶対にまず人として許されるべきではない。

昨日、その方のお話を聞いていて私自身が管轄署に苦情を言いたい気持ちになったし、公安に苦情を入れたいほどだった。当事者でない私がそうであるならば、被害者の方は私以上に苦しんでいるし怒りを持っている。自身が望んで被害者になっていないのに、被害者が相当の負担を負わされて、加害者は社会で生きているということを許容することはできないし、当然に処罰感情が激烈であるのは誰でもわかることなのだ。

少なくとも私がその方と加害者のやり取りのラインのスクリーンショットを見た限り、犯行を自供し認めているしこれ以上、被害者を待たせて証拠や資料を集めるというのは単なる被害届を受理しないための時間稼ぎにしか思えない。今になってから、被害直後の証拠はどうやったって警察は集められないでしょと思う。

加害者の反省の弁など私の感覚で言えば、いくらでも作り上げられる罪を軽くしたい、何ならば自身もしようとおもっていないけどしてしまった犯罪による被害者であるかのような立場に立つためにいくらでも言えると思っている。謝罪が欲しいという人もいるかもしれない、私は少なくとも犯罪を犯してしまった人間の言う「ごめんなさい」は全く信用に値しないと思っているし、「二度とやりません」と言ってもまた同じことを繰り返すケースは自身の被害でも遭っているし、それを司法が信じて罪が軽くなるということもおかしいのだ。本当に反省しているのであれば、しっかりと司法に執行猶予か実刑か罰金かは別としても罰をうけて償い、被害弁済をするべきである。それすらをしていないのに、なぜ加害者の方を持つ人間がこうも多いのか。考えればわかるのであるが、犯罪を犯す人間は狡猾に嘘を上手につく、その犯罪行為もやむにやまれず犯したかのように思わすことだってできる人間が多い。

告訴状を提出するということが現実的に処罰を望むならば選択肢として一番にくるが、それを一人でやったとしても「いつ捜査するかは内務規定」とどんどん先延ばしにされると考えると、弁護士に依頼して同行してもらい告訴状を出すほかに警察が真面目に対応させるということは出来ないのではないかと思っている。

自首したから逮捕しません、自首したから逃亡や証拠隠滅の可能性も低いと普通に身柄は自由にされていて、社会の中に紛れているということがどれだけ危険か今までの事件で警察は何も学ばないのかと思っている。身柄が自由だからこそ、更に重い犯罪を犯すケースは何件もあったではないかと。

暗数調査を4年に1回行っているという時点で、警察や法務省は暗数が生まれていることをしっかり認識しているのである。その統計もとれているのに、全くもって活用されていない。

私はこれ以上、性被害に遭った人が勇気をもって声を上げる口をふさぐ警察や司法、加害者を許せない気持ちでいっぱいである。

自身の自己決定の下で犯罪を犯したのならば、処罰されるのが当然である。その処罰は加害者自身にとっては不利益かもしれない。しかし、それは回復が出来る不利益である。被害者の負った不利益は一生涯にわたって傷や痛みを残す。警察や司法にとっては「多くの被害者の1人」でしかないかもしれないが、被害者にとっては「少ない警察や司法の人たち」と関わっている。命を懸けて戦っている人もいる。

暗数を出せないような空気感を作る、セカンドレイパーも事実存在しているし加害者の方を持つような人も存在している。それは自身が被害者になるよりも、加害者になる可能性を深層心理では高く見ているからこそできることであって、もしくは大きな利害関係があるかである。被害の声を上げた人の声が残響になっていくことがこれ以上続く日本が法治国家である、民主主義国家であると名乗る時点でおかしい。

この記事はたくさんの人に拡散していただきたいと思っています。

恣意的に処罰を逃れるために、自首をする悪質な加害者がいるということ

その自首によって逮捕をしない、被害届を受理しない警察組織。

人の社会的立場で態度を変える警察や司法があるということ。

性犯罪被害者のサポートをする非営利団体の方たちが戦っていても警察はこの態度を変えない。暗数を生むということは、罰せられなかったという加害者の悪い成功体験を増やすだけである。回数を重ねれば重ねるほどに、罪の意識は薄れるし、悪質になっていく。性犯罪から始まって最終的に殺人に手を染めた累犯の犯罪者がどれだけいるかということを今一度警察、司法、政府に考えていただきたい。

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