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教師が性犯罪者と豹変すること。

以前に書いた記事、

私は上記のような経験をしている。

私は、県教委に「教員の性犯罪の防止についてどう取り組まれているのか」と言うことを聞いたことがあった。

驚きの回答が返ってきた。

「全職員に対して、生徒や児童に性的な気持ちを持つかどうかをアンケートでとっている。」

と言う回答だった。普通に考えて、そのアンケートに正直に「はい」と答える、性的に生徒児童を見る教員がいるだろうか。

これが、日本の教育社会の現状である。まず、教員の性犯罪を「不祥事」と言う表現で表すことは、幼児に対する性犯罪を「いたずら」と呼ぶように、被害を軽く感じさせるようにしている恣意的な意図を感じる。

性的な被害を被害と感じられるようになるまでに時間がかかるケースがある。そもそもが、性的な概念がない年齢であるとか、精神的に支配、懐柔されてしまっている、一種のマインドコントロールの状態である。私のケースは、実家が悲惨なまでに荒れ果てていたことに起因する。当時、祖父が脳梗塞からの認知症になり、朝も夜もなく徘徊をするという状態に陥った。しかし、家族の誰一人も祖父を抑止することもなく、祖父は私を自分の妹と思っているので、課題をこなしていたり、テスト勉強をしていてもお構いない暮らしだった。深夜の3時に徘徊すれば、何とか家に連れ戻すという暮らしをしていたら、私は完全に精神がおかしくなってしまい学校に通うこと自体が難しいという状態だった。欠席や遅刻が増え、学年で比較的良かった成績もどんどん下がっていき、このままでは留年するかもしれないという不安の中で、担任に「家の環境がこんな風で辛い」と話すことで、担任は「言ってくれてありがとうね、色々な人に聞いてみる、何とかこの環境がどうにかならないか」と。私は、全幅の信頼をもって、毎日担任とメールや電話をした。私が土曜日に課題を持って学校に行ったとき、担任が一人でいて私は私服だったので「先生、もう今日は仕事ないからさ〇〇もたまには気分転換にドライブ行こうか」と言われて、私はなんの疑問も思わないで一緒にドライブに行った。それが、初めて外での接触だった。その日、少し遠い海を見に連れて行ってくれて、私は東京事変が好きで「今日の服はね、東京事変の群青日和っていう曲の感じにしたんだよね。髪型もそうしたの」と話したとき、「かわいいね、すごくにあってるね」と手を太ももに置いてきて、頭を撫でた。私は担任を父と言うような気持で見ていて、性的な気持ちや恋愛感情でみていなかったから、担任が不純な気持ちで接触しているとは全く思っていなかった。単純に親が子供の頭をなでるようなそんなものだと思っていた。車内で「私、もう家にいたくないの。おじいちゃんのことをずっと見ていたら、勉強もできない、学校にも行けない、進路のことも今は考えられなくて、大学に行くにしても就職するにしても、何も未来が見えない」そんなことを言ったときに「大丈夫」と私を抱きしめて、キスをしてきた。私は、すでに今までの会話やメールで依存心を持ってしまっていたし、唯一私を理解してくれている大人と思っていた、成人してから「これは懐柔を利用した、性犯罪だ」と分かったけれど、その日、ホテルに連れていかれて性的な関係を持った。私は、どうしてその時「そんなことしたくない」と言えなかったのか、そもそも「そんなことしたくない」と言う心理にさえ至らなかった、全幅の信頼と依存心で私は担任のすることすべてが正しいことであって、私がそれに抗ってしまったら、全てが壊れてしまうと思った。私は高校2年生の6月にいよいよ祖父の徘徊や介護に疲れ果てて、リストカットをしてしまうようになった。父に知り合いの心療内科に連れていかれて、家族歴や成育歴を聞かれても、父の知り合いだから真実など言えなかった。その時に、ソラナックスと言う精神安定剤をもらって飲んだら、気持ちが楽になった。その時、私は病気だと思った。それから、精神安定剤と睡眠薬を飲みながらの記憶も定かでない生活が始まった。そこからは底なし沼の様に、祖父の介護をしながら、学生をする、担任と月に数回そういう関係になった。ある時から、私の生理が来なくなり、婦人科でピルを処方されるようになって生理が来るようになっても、生理痛が軽くなるからピルを飲んでいた。なので、担任が避妊をすることは一切なくなった。私は、自分が唯一信頼している大人がすることは正しいことなんだと完全に思い込んでいた。

17歳で出会った今の主人と18歳の時に実家から出て結婚をして19歳で子どもを産んだ。その時、主人に対して申し訳ない気持ちがとても沸き上がってきた。私は望まない性行為をしてしまったんだと。主人に対して主人としか性行為をもちたくないと思った時に、じゃああの時なぜ私は一切の拒絶をせずに担任の言うがままに動いてしまったのかと。

「これが、グルーミングだ」と。

そもそもが、担任は恐らくどこかで私の依存心や信頼を利用して性的な利用を考えたのだろうと。それが意図したものかそうでないかは別としても、回数を重ねるごとに担任自身の罪の意識であるとかやってはいけないということもわからないままに。

私の性に対する成熟であるとかいうものは遅かったのかもしれない、私が思い悩むようになり「これはとんでもないことをされていたのではないか」と。私の性の選択であるとか、そういうものをあるようでないものにして、単純に利用していたのだと。カウンセリングでその性被害について語るようになり、私は色々な文献や資料を見るようになった。そこで、精神的に依存させ性的に搾取するということが教育界では頻繁に起こっていることを知った。まさに自分のことが書いてあるように思った。しかし、「私も望んでいたのではないか」とか色々なことを考えたけれども、担任が「愛しているよ」と私に言ったとき、「けれど、先生は結婚して子どももいるでしょ?私と結婚でもするの?」と聞いたら「家庭を壊すつもりはない」と言ったことを思い出した。成人してからああ、これは完全にそういうことだったんだと。

私の精神的な弱さから、頼れる大人が自分だけだということを十分に認識したうえで、教員であるという立場を利用し性的搾取をした。

と言う結果に至った。私は、犯罪被害に遭った後でもあったので自分の性というものが人の力によってねじ伏せられる不条理さを痛いほど感じていた、そして、その担任からの行為が犯罪行為であるということを確信したとき

「この人間が今は教頭という管理職で、性的な行為をしないように不祥事を起こさないように指導していると考えると、とても恐ろしいことだ」と思った。

しかし、刑事告訴するには時効をすでに迎えていたため私は何もできないとあきらめるしかないかと思っていたが、公務員の身分を有している限りはその間の社会的失墜行為は懲戒処分されるということを思い出して告発をした。結果的に、懲戒免職処分となったが私の様に過去の教師からの性被害を訴えている人はたくさんいるが、認めなかったり県教委が曖昧な態度をとっていたりで思ったような結果が得られなかったり、民事訴訟も時効を迎えているなどで泣き寝入りする以外にないような状態にある人も多い。私の場合は、ある程度の証拠や最終的には本人が認めたことで懲戒免職になったが、もしも、それがされなかったら、泣き寝入りをするほかなかったのだ。

教員になる人の根底に性的な目で生徒や児童を見る人も一定数いるのかもしれないが、それを採用の段階でふるいにかけることは不可能に近く、個人の性的嗜好は加害行為をしない限りは罰せられることもない。しかし、私は思う。教育業界、特に学校と言う組織は縦社会で閉鎖的である、隠ぺいしようと思えばいくらでも隠ぺいできてしまうし、性に対しての認識がその子その子で大きく違う。家庭に居場所がなければ、学校に居場所を求めてしまうだろう、そして教師が努力を誉めてくれたり自分を認めてくれたら、傾倒していくなんていうのは子どもの心理からしたら至極当然のフローである。そこの隙間をついたように起きている性犯罪を犯罪と認識できず、成人してからやっと「これって、相当におかしな行為だったんだ」と気づくことはなんの不思議でもない、しかし刑事告訴も民事訴訟も時効を迎えているという結果ある。そもそも、性的加害以前にグルーミングのような行為が危険であるし、それが横行しているという現実に憂いるばかりだ。

私は、この性被害についていまだに納得はいっていない。当時15、6歳の私がそこまで性的に未熟で何もわからない人間だったのか、本当にあったことなのか、一体なんだったのか、何を苦労し信用してしてしまっていたのか。すべての大人を憎んだし、そして憎んだ大人に私もなってしまったのだと。

もしも、この記事を読んで教師に罰則を与えたいと思っている人がいたら参考にしてもらいたい、仮にいまでも公務員の身分であれば県教委に告発するという手段は残されている。その際には、自身だけでするのではなく弁護士か新聞会社の社会面に被害内容を書き、協力を仰ぐことをお勧めする。少なくとも個人でやることはお勧めしない。新聞会社などのマスコミを県教委が介入したとき下手なことは言わないのだ、何ならば言えないのだ。新聞会社によっては協力してくれない場合があるので、少なくとも2社以上の新聞会社に協力を求めること。もしもその被害を知っている当時の人がいたら、協力を願い出ること。メールなどの文章が残っていたら、それをスクリーンショットできるならしてクラウドにあげる。証拠として提出できそうなものはすべて提出して、否定の姿勢をとれないようにする。教師と言うものが先生と呼ばれて、自分が森羅万象のすべてをつかさどっているくらいに思う人間もいるが、実際には力のない人間の一人にすぎない。仮に処分がされなかったとしても、その教員の教育界での肩身は非常に狭いものになる。恐らく、出世の道からは外れるし、教員と言う団体の中で浮くことは容易である。被害に遭った人だけが延々と悩み中にはPTSDによって薬を服用しなければいけない、適切な異性との関係が築けないなどの悪循環が起きることがある。それは、被害者の性ではなく、教師や塾講師などの意識・無意識は別として「立場が上である」と言う驕り昂ぶりが起こしている、卑劣な犯行手口なのだ。そして一番の問題は、成人したときにしか「これは性犯罪だったんだ」と確信に至るまでに多くの時間がかかり、刑事訴訟、民事訴訟の時効が終わっていることである。私は、この点に関しては時効をなくすべきだと思っている。殺人などの重大犯罪は時効が撤廃されたが、被害を被害と認識して適切な手続きを取りたいと思ってもとれないことが問題でその性成熟や性的知識が養われるのには個人差があるものであって、せめてその部分に関して、未成年の時に受けてしまった性被害に関しての時効の撤廃を強く求める。


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