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警察組織、司法組織、日本政府の隙間に落ちた人たち。

今日は、以前の記事と重複する部分は多くなるけれども
改めて、「犯罪被害者の人権と被害回復に伴う問題」について、
思ったことを書こうと思う。

まず1番に思うことは、警察の捜査段階で私自身が非常に苦痛を感じたことがあり、退院してから警察に「実況見分をしたいので、ご自宅までお迎えに行きます」と連絡があった。
その時に、インターホンを鳴らして「〇〇警察です、お迎えに来ました」と結構大きな声で言われたことがとても、配慮のないものだと感じた。
私が住んでいる場所は、比較的田舎で近所の人たちもうろうろしている環境で「え、あの家の人なんかしたの」と言うような、そんな目で見られたことを覚えている。それから、事件現場は家から徒歩5分程度の場所で
駅と言うこともあり、人の往来が多い中で警察官が「被害者」や「加害者」と言うようなプレートをかけて、指をさすということをするのだけれど、当然、誰かしらが見ているという点。
検察で同じようなことを地下駐車場で行ったけれども、同じような状況を作ってそのような実況見分をすることは出来ないだろうかと思った。
私自身、被害から1か月も経っていない間でのことだったので、心身共に疲弊していたし「もう、仕方ないことなんだ」と思いながらであった。
人の口に戸は立てられないもので、「なんかあったんでしょ」とか明らかに違う内容を言う人も実際にいた。
警察での供述調書の作成と検察での供述調書は性質が違うので、仕方ないところはあるけれども、子どもを抱えながら長い時間、拘束されて何度も検察庁に行くということは非常に大変な労力がいった。
特に、腰椎の骨折で車に座っていることが辛い中で検察庁まで1時間以上座っていなければいけない。
検察は出来るだけ、私の居住地の近くまで来てくれたりと配慮をしてくれたように思う。

私自身が、警察を信用していないというのは以前にも書いた、祖母の特殊詐欺被害の際に、まだ日本でそのような詐欺が報道されるようなこともないころで、警察官を装った人が来て、郵便局まで祖母を連れていき預金を引き出させて、それを警察がじゃあ、このカードに入れておきますからと言うような形で渡したというものなのだけれど、警察は「防犯カメラは調べるけれども、おばあさんが自分で下して渡しているから、あげたという風に思うけどね」と。結局、捜査すらしてくれなかった。そのあとに、同じ詐欺集団か分からないけれども「犯人が捕まりましたから、上がっていいですか」と言って、「おばあさん、生活費はどこにしまっているの?」と聞いて、家族しか知らない場所を警察だと思っているから、教えてしまってそのお金と財布のお金を持っていかれてしまった。私はもう嫁いでいたので、返ってきた父に喜びながら「犯人が捕まったって来たんだよ、〇〇(父)にも電話したって言ってたから、よかったなあ」と父は焦って「お金は、生活費の分は?それは警察じゃない。ほかにどこか部屋に入ったか?」と聞くと、父の自室にまで入っていたとのことだった。それでも、「証拠がないですからね、あげちゃったっていうことじゃないですかね」となり、祖母は自分を責め続けてまた来るかもしれないということで、防犯カメラを設置した。
私はその時は自身が犯罪被害に遭っていなかったので、祖母に対して心無い言葉をかけてしまったかもしれないと、ふと思った。
「命を失わなかったから、お金だけですんだからよかったんだよ」
「おばあちゃんは、何にも悪くない。」と。
祖母にとって、一生懸命に貯めたお金を持っていかれたこと、自分がだまされたことで自分の責任が大きいと思っているのに「命があったんだから」と言うことを言ったのは、今になったら祖母の気持ちがすごくわかるけれども
「命があったからとかじゃなくて、被害に遭ったことが辛いんだよ」と思っていたと思う。それから、認知症とうつが混ざったような感じになって、父と二人暮らしだったために、父は仕事に行かなければいけないけれど、祖母を外に出すことも危険だったため「閉じ込める」と言うことしかできなかった。なので、まだ娘は小さかったけれど片道1時間半かけて毎日、実家に帰って、いけない日は電話をしてと言うことをしていた。
してはいけないことだと思ったけれど、祖母がトイレに行っている間にノートを見たら「私は馬鹿だと思った、反省した。」ということがたくさん書いてあって、もしも警察が郵便局の駐車場に車に乗った祖母が降りてくるところと男がついてきていることを確認できていたのだから、車のナンバーも確実に映っているはずだし、どうして捜査をしてくれなかったのかと。
私は父に「告訴状を出そう、それしかない」と言うと、
「おばあちゃんに、そんな心の余裕はないよ。急にボケてきてしまって…」と。個人的に家族には内緒で弁護士に相談したとき「おばあさんの協力がないと難しい、現在の認知症のような状況だと難しいですね」と返ってきた。
警察と司法と言うものに絶望と言うか、なぜ「祖母がお金をあげた」と断言できるのかと憤った。
私自身も過去に18年遭っていなかった母から
「お金をくれないんだったら、お前の家にやくざ送り込むからな」と脅されて、警察に相談するも、「お母さん、精神疾患があるんでしょ?仮に、あなたが殺されても罪に問えないと思うから、警察に相談じゃなくて、病院にお母さんを連れていくとかした方がいいよ」と。
警察は、「罪に問えるか(起訴できるかできないか)を決める機関ではないにも関わらず、言い切ったところに組織として、全体の奉仕者としての最低限にもいないと思った。

その3年後には私が犯罪被害に遭うのだけれど、警察はまず
「マスコミ発表」のことや腰椎の骨折をしているのに署に来いという。
機動隊と鑑識の方が来て、私の両手の10本の指紋、掌紋とDNAを採取したけれども、その指紋とDNAに関してどういった扱いがされるのかの説明もなかった。検察は、証拠品は返却するか破棄するかをあらかじめ聞いてくれたけれども、警察は一切、そのプライバシーにかかわるものをどうするのかを説明しなかった。仮に今、保存や登録がされたままであったとしても、何か不都合があるわけではないけれども、指紋などに関してでも国を相手取った訴訟があるくらいなのにせめて、どう利用し最終的にどうなるのかを説明するべきではないかと思った。

どの場面においても、被害者が日常生活と並行して捜査や調書を作るために協力する必要はあって然るべきだと思うけれども、あまりに負担が大きいということが非常に感じられた。

私は公判すべてに参加をしてきて、個人情報の秘匿のために弁護士に依頼をして窓口になってもらうとか、公判の際にも同席してもらい意見を言ってもらうなどの所もあった。通常、被害者が弁護士をつける必要はないけれども、犯罪の性質上でマスコミのことに関しても懸念があったため、弁護士に依頼をしたけれどもその金銭の支出と言うのも安いものではなく、国から支払われたものと言えば、証人として出廷したときの1日分の日当だけだ。
司法は「刑事事件が終わったら、被害者は司法から切り離されて、立ち直れるもの」と思っているのではないかと言う部分を感じた。
検察官から「この公判を節目として、立ち直ってください」と言う言葉に、
「そうですね、ありがとうございます」と答えるものの、単純に被告人に刑罰を科すという司法の目的が刑事裁判であって、被害者は参加出来たりするけれども、実際に何か被害者にとってその公判が被害回復の場になるのかと言うとそういうものではないと思っている。

公判が終わると、被害者支援という機関を利用することが非常に難しくなる。基本的には、犯罪被害者支援センターも公判や検察への付き添いなどの
公判をゴールにしている部分は大きいのかなと考えていて、そのあとは自分自身で、心療内科に行くとかカウンセリングを受けるということをするしかない。犯罪被害によって負った傷と言うものを回復するために、時間や苦痛を伴うのは被害者自身であって、加害者が支払ってくれるわけではない。
仮に、金銭で換算した慰謝料でどうにかなるのかと言うと、そもそもが支払われない(私の場合は、損害賠償命令制度の際には親が連帯したので、月1万円ずつの退職後に全額支払うで即決和解した)金額の方が遥かに多く、実際に2000万円の損害賠償はもうどうやっても回収できることはないのだ。それは、加害者が死亡してしまったので、相続人が放棄していけば終わるという話で、それはもう仕方がないとあきらめているけれども。
もしも、諸外国のように判決が出たら国が立て替えるという形がとれる制度が日本にあれば、被害者が血眼になって「加害者の持っている財産の特定(家屋、預貯金ある金融機関、勤務先)は被害者がしなければいけない」。
最近になって、法が変わったのでそのあたりは比較的特定しやすくなったけれども、職場を特定するとしたら社会保険に入っていたら年金機構を通じてとなるけれども1件の開示に6000円かかってしまう。
また、損害賠償請求権の時効が来たら、加害者に1円でも支払わせて時効を止めるか、改めて訴訟提起を繰り返さなければいけない。そもそも、加害者が働いていないまたは強制執行できるだけの財産がないケースがほとんどで、いったい何のための訴訟なんだろうかと言うところに尽きるけれども、結局のところ被害者ができる制裁と言うものは民事訴訟しかない。私が訴訟したとき、いずれは確実に親が先に死ぬであろうから定期的に何かしらの形で調べ続けるしかないのだ。本気で、回収しようと思うと。私のケースは加害者の両親には財産があると分かっているので良いが、その親も子に相続させるものがない状態であれば、そもそも訴訟するだけ全くの無駄である。
そもそも、加害者が死亡したので一切関係のない話だが。その無駄を分かっていて「訴訟するだけ、時間とお金と精神力の無駄遣いだよ」と言われることは多かったけれども、精神的な世界で許してない、忘れてもいないということを民事訴訟で持ち出しが多くなってもやる以外にもっていけるところはないのだ。
加害者に人としての尊厳を奪われたから、奪ってやると言いうことも頭によぎったこともあるけれど、理性が人には働くしどう考えてもマイナスの状態に自分も家族も落としてしまうことになると考えると、そんなことをしたところで新たな被害者と加害者が生まれるだけだという結論になった。

日本政府は選挙の時期などにちょろっと「犯罪被害者の被害回復」などを言うけれども、実際には小泉政権の頃に法案が通って成立したときから、ほとんど変わっていない。
犯罪被害者に対する給付金の支給条件も大阪の放火殺人で加害者も死んでしまっているし、メンタルクリニックで休職中や無職の方が亡くなっていて、
けれども直近3か月の収入で支給額が判断されると考えると、賃金センサスで算定したらいいと私はおもうけれども「その命に価値が分かれる」というのは、あまりに酷いのではないかと思えてならない。
実際に、給付金が支払われたとしても直近の生活はどうにかなるかもしれないけれども、被害回復をするには足りないというところが問題だと思う。

警察組織、司法機関、日本政府の各々に不十分な点があまりに多いなと感じている。

損害賠償などの債権を買い取ってくれるようなサービサーは日本に存在していないし、であればやはり国が立て替えるということが現実的だと思う。

ほかに思うのは、あすの会の方々が仰っているように犯罪被害者庁を創設してその機関でワンストップで支援が受けられるような形にするべきであると思う。被害者が様々な機関に行くということは、行く場所が増える分だけ
何度も同じことを話さなければいけないという負担もある。
被害に遭った人の中には、1つの機関で心無い言葉をかけられて支援を求めることをやめてしまい、悲惨な人生を送っているというケースをたくさん耳にしてきた。
例えば、国民皆保険や介護保険と言うのは誰しもが必要になるから保険料を納めている。おそらく、日本に住んでいる人の殆どが犯罪被害で人生が生き詰まるということを経験ないからこそ、そこにリソースをさくことが出来ないのかもしれない。しかし、現実に困り果てて万事休すの状態になっている人が今もこの瞬間に存在しているし、これからも存在するということを考えると日本の国家予算の金額からして「不可能ではない」と私は考えている。

ひょっとすると、私は犯罪被害と言う加害者に負けたのみならず、
警察、司法機関、日本政府に負けてしまったと俯瞰で見たときには
そうなのではなかろうかと思えてならない。
矯正施設の「更生」というものをおざなりにしている、一応は
「性犯罪プログラム」をやっているよというような形だけれども、
実際に効果があるのかもわからないし、満期出所した人の現状をサポートするということもないところからして、とりあえず「収容」というところに落ち着いているのかなと思う今日この頃だ。

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