助けてくれる人が近くにいなかったら。
今週は、お盆休みでカウンセリングが休み。
先週、加害者の死を知ってから7年以上年続けてきたカウンセリングの中で、「こんなに明日のカウンセリングが待ち遠しい」と思ったことがなかった。毎週1回、50分のカウンセリングで「死なない約束」と現状の気持ちを話すことで命をつないできた部分は大きいと思う。
犯罪被害被害者になって、カウンセリングを週1回とカウンセリングの後に、心療内科医と20~30分のまとめの時間をもらえる環境にあるのは、非常に恵まれていると思う。
家族の理解だったり、そういった面で心療内科に掛かることもできない人もいると、犯罪被害当事者に聞いたことががった。
心療内科は、自立支援医療の申請をすれば1割負担か自治体によっては0円だけれども、多くのカウンセリングは50分8000円ほどかかってしまう。家計から、その金額を自分の意志だけで出すのは難しいことだと思う。
様々な部分で、理解が得られていることは本当に助かっている。
私の痛みの部分は第二腰椎圧迫骨折の後遺症で神経に触っていて痛いということだけが理由だけでなく、麻酔科医と心療内科医がいうところ、精神的に言語表出が出来なかったりすると「おなかが痛い」とか「吐き気がする」ということがあるけれども、
「怒りは痛みとして現れる」というのはセオリーのようで、薬だけでどうこうではなくて、心理的アプローチで心理面からくる痛みは減らしていこうという形である。
今日少し、考えることがあった。もしも、周りに助けてくれる人や理解をしてくれる人がいなかったら、私はどうなっていたのだろうかと。
医療に結び付くのも比較的スムーズで、心療内科医の診察もカウンセリングが終わった後、ほかの患者さんがいなくなって時間が取れるラストにしてくれているので待ち時間もなく、腰痛に配慮をしてくれている。
一番救われているのは、主人の存在だと思う。
もしも、私の主人が精神的に私と共鳴するタイプだったら、確実に2人とも、子どもも巻き込んで終わっていたと思う。
主人は、私がもともと変わった形で物事を考える人間でそこにメンタルがおかしくなると心の均衡がとれなくなって、「分かるように教えて、根拠があるならそれを教えてほしい」という、面倒くさい人間の私に、温かさとロジックを交えて「この状態になっているというのは、〇〇だからなんだよ、〇〇で起きていることだから、こうやってやるのがいいと推奨されているんだよ」というようにアドバイスしてくれる。しなやかな論理性が主人になかったら、「私、終わってたかもな」と本当に思う。
腰痛の治療に関しても、色々な論文だったりをいつもしらべてくれて「この病院だと、この治療が受けられるかもしれない」とか東洋医学にあまり信頼を置いていなかったのだけれど、エビデンスを示してくれて「やってみよう」と思えたりする。
私は、アルコールをほぼ、飲んだこともなかったし、酒精綿も赤くなるから使えない人間だったけれども、セルフメディケーションでアルコールを飲みだして、アルコール依存のようになっていたと思う。それを続けて、ある時の健康診断でγ-gtpが500くらいになってしまって、けれど飲まないといられないようなときがあった。1人暮らしだったら、その生活を続けて気づいたら死んでたと思うけれど、主人と子どもがいたからアルコールをやめて、肝機能も正常に戻すことが出来た。人間は、逃げるところがなくなると自分の世界に逃げるしかなくなり、アルコールだったりに逃げてしまう部分はあると思う。実際に、性犯罪の被害や犯罪遺族の方で、アルコールに逃げてしまいというケースはよく聞く話だった。私は、アルコールに逃げたところで刹那的な逃避にしかならないとわかったうえで飲んでしまったし、カウンセラーや心療内科医、麻酔科医が近い距離にいてもそれだったので、完全に社会から隔絶されて、相談することもそこにたどり着くことも怖いとなってしまったら、刹那に刹那を重ねて逃避してしまう気持ちはすごく分かる。
犯罪被害者の問題でとても解決するべきことと思うのは、様々な機関で相談のたびに同じ説明を1からしなければいけないということ。
私は、能動的に思い出して話しているときは解離状態のようなことはないけれど、とても怖くなってしまうことは今でもある。
特に、個室でないような隣に知らない人が座っているような場面で、犯罪被害の内容を話したり、質疑されることはとても辛い。
コラム 犯罪被害者に対する公的支援と民間支援 (全国犯罪被害者の会(あすの会) 副代表幹事 松村恒夫) (npa.go.jp)の中でもワンストップで必要な支援が受けられるという形は本当に必要なことだと思う。
日本においては、「聞かれないから、このような相談機関や関係機関の情報提供をしない」というところが激しく感じられる。すべての人が、的確に困っていることを言語化できる状況でもないだろうと思うし、犯罪被害者の家族が本人に沿った窓口につなごうと思った場合も難しい点があるのかなと感じる。
私が犯罪被害に遭ったとき、犯罪被害者サポートセンターのことは警察からパンフレットをもらって現地に行ったのだけれど、その場所まで車で1時間かかるなどの負担があった。けがの状態で行ける状態になるまで3か月掛かり、その期間は電話であるとかの相談になったけれども、頼めば訪問してもらうこともできたかもしれないけれど、頼んでいいのかも分からなかった。
犯罪被害者サポートセンターなどは県に1カ所だったりするので、真逆の位置に住んでいたりする人にとっては、とても大変なことだと思う。
犯罪被害に遭った直後というのは、書類の手続きであるとかが煩雑でサポートを受けるための手続きというものもある。犯罪被害に遭った現実だけでなく、日常の現実も抱えながらになるので、間隔があかず的確に目的にあった場所にたどり着けるよう、フローチャートのような形で目で見て分かるようなシステムが作られていてもいいのかもしれない。犯罪被害に遭っている、遭っていないにかかわらず役所などにパンフレットを置いてもいいと思う、警察署に行くとしたら免許の更新だったりだろうから、そういうところでも気軽に閲覧できるような形式がとられるのも望ましい。
税金などの予算という観点から、犯罪被害サポートセンターを県内に3カ所設けるというようなことは難しいのだろうか。
実際、自分に関係がなさそうなことに関しては税金を使ってほしくないというようなところはあると思う。防災であるとかは、日本人全体が共通で被災する可能性があるので免振や耐震の補助費などを出すことに苦言を呈される方は少ないが、犯罪被害者給付金の世論アンケートでは「現状のままでいい」という回答が約半数占めていた。そのような観点から考えれば、その半数の人たちは、犯罪被害者の現状に関心がないというのは語弊があるけれども、そういったところが感じられる。それは、仕方がないことだと思う。
どのようなことも、起こってしまってから法律が変わったりする。
そう考えれば、人が存在して近代の法律に変わってから、ずっと犯罪被害者の人権や権利はおざなりにされていた部分はとても大きいと思う。
実際に当事者が辛い中で拡充のために活動をして、法案が通っているところを考えると、犯罪被害に遭った人の中で活動ができる人が活動をし、これからも絶対に犯罪被害者は発生するから、自分たちが犯罪被害で困ったことを困難にしないさせない世界を作るために、頑張っていきたいと思う。
何をどうやって頑張っていいかは、まだはっきりとわからないけれど、日本は国民が選挙を通じて代表者を選ぶという国だからこそ、1人でも多くの声を上げることがまず大切だと思う。
10年、加害者を恨み怒り、後悔をする日々が続いてきたし、今も続いている。これからも続くと思うけれども、そこにすべてを注ぐよりも、土に植えた花を育てるよう時代を育むきもちを持つことを意識して、行動することも被害回復の手段だと強く思う。
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