亡き祖父へ


祖父のことが大好きだった。

高齢だったけれど、常に勤勉であり、頑固で、美学のある男性だった。
私には大変甘い面もあった。

それは、甘やかし、という意味ではなくて、たとえば
「そんな閉じ込めるようなことをしないで、もっとたくさんの世界を見せてあげなさい」と

私の母に忠告してくれるような、そんな愛し方をしてくれていた。

祖父は大変趣味の多い人間で、カメラ、クラシック音楽、哲学、建築、飛行機、など…私が知らないだけで他にもかもしれない。
とにかく勤勉で、何事にも精通していた。

私が興味を示すと、
「気になるか?これはね」とニコニコと近寄ってきてくれて、私が子供らしい疑問を投げると
満足そうに笑って、いつも教えてくれようとしていた。

祖父は癌が見つかった半年後に亡くなった。

腫瘍がある、癌かもしれないとわかった瞬間、祖父は遺産相続の手続きや学びに時間を費やした。
おかげで残された私たちは、何の苦労もしなかった。

少しずつ手が動かすのも大変になっていった。
最期にしたいことのうちに私との文通があったらしく、ぎこちなく動く手の代わりに、パソコンで打ち込んだ美しい文が届くようになった。

内容は、飛行機の美しさについてのお話だったり、時間に関する哲学であったりした。
知識というものに夢中になっていることが感じ取られるワクワクとしたような文で、死に向かう者の悲壮な雰囲気は微塵も与えられなかった。

私への手紙をしたためている途中に、祖父は病態が急変し、搬送され、そのあとすぐに息を引き取った。
「死に行くものに時間を使うな。看取らなくていい」という言葉が最後だったと聞いている。
(皆、看取ったそうだけど。)

祖父は本当に死を克服していたのだろうか?

亡くなる寸前、口に手を当てて自分の呼吸を確認していた彼は、死を目前に何を考えたのだろうか?

そこには死という大いなる旅への探究心があったのかもしれない。

私は今でもラ・カンパネラを聴くと、祖父を思い出す。

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